『雑記』 の記事

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2005年6月14日

hyodoの近況は?

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みなさん、こんにちは!hyodoです。ご無沙汰しております。
ちょっとここのところ忙しくて、無聊写記の更新が滞っております。
ご心配お掛けして申し訳ありません。hyodoは元気にやっております。
どのくらい元気か?と申しますと、

  1. 奥多摩へ登山に行って筋肉痛になったり、
  2. キルギスから来ている友人とお茶のお稽古へ行ったり、
  3. 金沢21世紀美術館でジェームス・タレルの作品を観たり、
  4. 初めて月島へもんじゃを食べに行ったり、
  5. カフェバグダットさんのイベントであこがれのカリーマさんをご拝顔したり、

という感じで、ここ2週間楽しくやっておりますので、
ご安心下さいませ。

やはり記事を書くとなると、1本につき3~4時間くらい掛かるのです。
そんなに時間かけている割には・・・・・・という指摘もございましょうが、
私の場合はそのくらい掛かってしまうのでございまして、
ここのところちょっと時間が取れなくて記事が書けず残念です。

ネタはいろいろたまっておりますが、
次回は久しぶりにシフォン・ネタでいきましょうか。

題してシフォンケーキ・官能篇

ちょっと、そそられました?
それでは、お楽しみに!

今日の写真 ~ソフト・ハウス その4~
今回は千葉県九十九里浜。良く晴れた春先の光景。ソフト・ハウスというよりは廃墟であって屋根も無いのですが、テンポラリーな居場所って感じがしませんか?

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2005年5月18日

水着と股浅ジーンズの流体力学

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先週、水着を買った。私は週1回のペースで市営の温水プールで泳いでいるのだが、今の水着がダメになったからである。何がダメになったかというと、尾てい骨の下付近の生地が薄くなってきて透けてきたのだ。以前の水着もそうだった。なぜだろう?

競泳用の水着を買うのは3枚目である。形は膝上までの股引タイプ。speedoというメーカーのAQUABLADE スパッツという無地の製品で、色はブルー、サイズはM。以前は高級素材だったアクアブレードⅡという水の抵抗が少ない生地が標準となった。なんでもこの生地は、表面のウロコ模様の撥水プリントが非撥水部の流水の速度差が生み出すタテうずの効果で、水着表面上の乱流を抑制することに水着と水に生じる抗力を低減しているのだそうだ。

実は私、大学時代は流体の基礎研究の研究室に所属していた。固体表面に流体が触れる5ミリ程度の流れの層(境界層)に直径2ミリ高さ2ミリの微小円柱を置き、その周りの流れを風洞実験により調べることが卒業研究のテーマであった。そんなわけで、私は微小突起を利用したアクアブレードのような低抵抗素材に興味があるのである。

それだけではない。泳ぎのフォームにも並々ならぬ関心がある。例えばクロールなどの腕のフォームの注意点として「水を手のひらに垂直にかいてはいけない」(しかし子どもの頃、スイミングスクールに通っているときはこのように習った)。なぜなら、手の甲で流体(この場合はプールの水)の剥離が起こり、渦が生じて負圧となるため大きな抵抗が生じるからである。「水は手のひらに対して40度以下でかく」。そうすれば抗力は小さい。そのためトップスイマー達のフォームを解析すると手は左右上下に大きく動かしているが、前後にはあまり動かしていないそうである。要するにプロペラのように手を振り回すのが一番効率がいいのである。流体の性質の知識があるか無いかでスイマーのタイムは明らかに変わるはずである。

ところで、水着は何であんなに股が浅さいのであろうか?ギャルの股浅ジーンズに負けていないほどだと思う。臀は尾てい骨がようやくかくれる程度で、前もようやく隠れる程度の股浅度である。水の抵抗を考えているとは思えない。なぜならイアン・ソープが着ているような全身スーツタイプの水着のほうが抗力が小さいことはわかっているし、全身スーツタイプでは無くても、骨盤よりウエストの方が周長が短いのだから、ウエストの紐のこと考慮すると股が深い方が進行方向に対する投影面積が小さく抵抗は少ないはずだ。露出度が高い方が売れるのだろうか?ナゾである。

ギャルが穿いている股の浅いジーンズは、スタイル良く見えるらしいが、それとは関係ないほど股浅ジーンズのひとを時々見かける。もしかしたら流体力学と関係があるかもしれない。吉祥寺のある有名な中古家具屋の前でしゃがんでいた女性のおしりは完全にペロンとなっていたが、抗力を極めて小さくしたという研究成果の表れだったのかも。これからの季節みなさん気をつけましょうね(笑)

今日の写真 ~ソフト・ハウス その2~
今回はウズベキスタンはフェルガナのアリーナ。舞台にいるのは独立記念日に向けて踊りを練習する高校生たちです。フェルガナ盆地は日本とほぼ同じ人口密度の人口密集地。反政府暴動の平和的解決を祈っています。

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2005年5月8日

論理と慣習 その2

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前回の記事は、内容の焦点が定まっていなくて、いったい何が言いたいのかわからないとお思いになった読者もいらっしゃるだろうが、もう少し我慢していただきたい。

ギリシャを離れトルコに渡ると、トイレット・ペーパーはあまり見かけなく無くなった。、中東、東南アジアの国々も同様なのだが、基本的に手動式ウォシュレットなのである。トイレには蛇口や水瓶があり、手桶で水を汲んで手で洗うのである。最初の数回はトイレット・ペーパーを持ってトイレに行ったが、すぐに手動式ウォシュレットに慣れたので切り替えた。その方が論理的にみると衛生的であることに気がついたからである。尻が濡れていてもそのままパンツを穿く。すぐに乾いてしまうので気にならない。そもそも手を洗った後に、ハンカチで拭くなんて滅多にしないではないか。

という話を以前 Kさんにしたら、「キタナイ!」と言われた。インド旅行のご経験もあるKさんは、現地でもトイレット・ペーパーをご使用されていらっしゃったようである。そこでKさんの発言を覆させるべく、私は次のような論理展開を行った。

A.付着した汚物は、紙で拭き取るより、水で洗った方が汚れが落ちて清潔である。
B.手に汚物が付着した場合、A は正しい。
C.当然、肛門の場合も A は正しい。

さんは上記についてはお認めなさったのだが、濡れっぱなしなのが不潔なのだとおっしゃるので、私は更に次のような論理展開を行った。

D.水で洗って清潔になったものは、濡れている状態から乾燥していく課程で、その清潔度が変化することはない。
E.例えば、洗った皿を水切りに立てかけたり、洗った手を自然に乾かすときが D に相当する。
F.当然、肛門の場合も D に当たる。

Kさんは上記についても「う~ん」とうなりながらもほぼ受け入れなさったのだが、今度は、濡れたままパンツを穿くのがキタナイ感じがするとおっしゃっるので、それに対して私は更なる次のような論理展開を行った。

G.水で洗って清潔になったものの水分を拭きとった布は、乾いている状態から濡れた状態に変化してもほぼ清潔である。
H.例えば、手を拭く為のタオルや、皿を拭くフキンがG に当たる。
I.当然、パンツが濡れたとしてもそれは G に相当する。

Kさんはちょっとためらいながらも「でも、キタナイもん」とおっしゃった。私はここで面倒臭くなったので論理展開をあきらめ、水掛け論に変更することにした。「キレイ!」「キタナイ!」「キレイ!!」「キタナイ!!!」当然、議論は平行線のまま。しかし、Kさんの強力な決め台詞「だってほんとうだもん!」が聴かれなかったので、私は少し満足した。ちなみにこの議論はKさんと私の間で何年にも渡り繰り返されている。

このゴールデンウィークにKさんとも面識のあるTがインドを旅行した。帰国報告の電話をもらったので、トイレではトイレット・ペーパーを使ったのか、手動ウォシュレットを実行していたのか訊いてみた。回答は、トイレット・ペーパーを使用していた、手で洗うのは清潔では無い。なぜ清潔ではないのかというと、「指に染み込むから」とのことだった。
そりゃ、すり込むように洗えばそうだろうが・・・。

KさんにTのこの話をメールでお伝え申し上げると、いつもより早くお返事を頂いた。
>そうですか。Tさんも同じですか。
>てかふつうですよ!!
>hyodoさんがマイノリティーなのです。笑。

何?マイノリティーだって?どっちが!インドは10億人もそうしているんだぞ!!と私は思ったが、結果として論理は慣習に及ばないことを思い知った。私はKさんとTに負けた。論理が正しいとしても慣習は宗旨替えをさせることと同じくらい大変なことなのである。

わたしは悔しかったので、インドにもバングラディシュにも行ったことがあるYさんにこの話をしてみた。Yさんは私の論理展開はどうでも良かったみたいだが、「多様な文化があるということでいいじゃない」と言ってくれた。私は仲間ができたので嬉しくなり、ようやく心涼しくなったのだった。

※ちなみに私の自宅のトイレはTOTOのウォシュレットを設置している。トイレット・ペーパーで水分は拭き取っています(笑)。日本は濡れた服が乾くのに時間が掛かりますので・・・。

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2005年5月6日

論理と慣習 その1

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私は26歳のときに、欧州・中東・東南アジアをいっぺんに旅行した。初めてのひとり海外旅行はイタリアからスタートした。ある程度のホテルに泊まり、毎晩レストランで食事をした。それでもバック・パッカー気取りだった。私はかなり世間知らずだったので(今でもそうだが)、バック・パッカーを相当勘違いしていたようだ。「バック・パッカーっていうのはたいしたものだ」と思っていたのである。イタリアでの最初のひと月の出費は30万円を軽く超えていた。それから半月ほどしてCITI BANKの残高をチェックしたとき、「どうもこれでは1年間も旅行を続けられそうもないな」とようやく悟り、ユースホステル(以下YH)や安宿のドミトリーに泊まったり、市場の食堂を利用するようになり、経済的な旅行を心掛けるようになった。ようやく旅慣れてきたころイタリアを後にしてオーストリア、ハンガリー、チェコ、ドイツ、フランスを廻った。

ギリシャに行ったあたりから世界は今までと違う様相を見せ始めた。アテネの空港に深夜未明到着し(安い航空券は深夜到着が多い)、ツーリストインフォメーション(当然もう閉まっている)のカウンターに置いてあった何件かのYHのカードの電話番号に空室(正確には空きベット)を問い合わせ、「No.5」というくたびれた感じの小さなYHにチェックインした。ここの特徴は下記の通りである。

A.2つの建物の1間ほどの隙間にビニールトタンの屋根を架け、その下をリビングとしている。
B.屋上に雑魚寝で泊まれる。
C.自由に自炊できるキッチンがある。
D.1泊8US$である。
E.トイレにトイレット・ペーパーが無い。

さて、A~E の項目の中で、今でも私に影響を残しているのはAである。細長い廊下のようなリビングは小さなテーブルと椅子が分散し、各室から見下ろすことができた。幅は狭いのに、見通しのやたら良い半屋外空間で、そのまま屋根のないアプローチにL字に折れ曲がってつながり、そこもリビングの延長として使われていて、変な空間なのだがなかなか良かった。少なくとも新しい空間体験をしたと思う。「廊下リビングの家」なんてコンセプトでいつか住宅の設計をしてみたいくらいだ。

B~D は、バック・パッカーが泊まる宿としてはごく普通のことである。当時の私はかなり驚いた。「寝袋を持ち歩いている旅行者って本当にいるんだ、深夜特急の世界だけでは無いんだ」と初めて思ったし、旅行中に自炊するという発想も無かった。宿代はアテネでも最低の水準で、こんな金額で泊まれるなんて信じられなかった。

そして E だが、翌朝トイレに行ってみるとトイレット・ペーパーが無いので、同室の人に「トイレット・ペーパーがどこにもないんだけど、みんなどうしているんだろう?」と聴いたら「ハァ~~~~ッ?」と言われた。私が状況が読み取れずにいると、「オレの使っていいよ」とトイレット・ペーパーを投げてくれた。再びトイレに向かいながら私はようやく理解した。「これから先の国ではトイレット・ペーパーを自分で用意しておかなければならないんだ」と。「それにしてもなんでこのトイレット・ペーパーはつぶれているんだろう?」よく見てみると、芯が抜かれていたのだった。

つづく

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2005年5月3日

オレの勝負服!!~秋から冬~

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以前の記事でも申し上げたが、私はひとり寂しく建築設計の仕事を自宅でしている。ここでの仕事着(と言っていいのかどうかはわからないが)は、襟付きのシャツにアウトドア系のパンツである。シャツは極めて普通であるので、ここではあまり取り上げないことにする。問題はパンツである。なぜアウトドア系かというと、大抵、腰紐やベルトが一体となっているのでベルトを通す必要がなく、椅子の上で片足だけ正座したりあぐらかいたりするのに、楽で動きやすいからである。

昨秋、2本目のクライミングパンツを買った。冬が近づいていたので、少し暖かな厚手のものが欲しくなったのである。色は茶の地に黒のラインのチェック、素材はコットン、ウエストベルト付き。 gramicci というアメリカのアウトドアアパレルメーカーの製品である。昨年中央アジアを旅行したときにこのメーカーのショートパンツを持って行ったのだが、履き心地・耐久性・形等とても気に入っている。

外出するときは、大抵 agnes b の定番ジーンズに穿き替える。素材が薄く柔らかく、洗濯による経年変化が良い感じで、形は少し細身の普通のストレートである。仕事で打合せに行くには、リーバイスだとくだけすぎだが、agnes b のジーンズならいいような気がしている。別にagnes bというブランドにこだわりは無く、同じような製品が他社にないのである。だからパンツ以外の agnes b 製品は買ったことが無い。

昨秋、私はお茶を習いはじめた。お稽古の時は正座が基本で、お辞儀したり立ったり座ったりを繰り返す。お茶のお稽古は仕事ではないが、少しフォーマルな場のような気がしていたので agnes b のジーンズを穿いて通っていた。しかし細身のジーンズは正座には向かない。足が痺れやすいのである。それを見かねて先生が、

「hyodoさん、細身のおズボンはちょっと大変じゃないかしら?

「もう少しゆったりしたものを穿いていらしたら」

とおっしゃってくれたので、その後は例のクライミングパンツを穿いて通うことにした。しかしお稽古の時はいつも同じそのパンツなので、

「hyodoさん、そのおズボンはお稽古用なの?」

と今度は聴かれた。先生は『ちょっと悪いこと聴いちゃったかしら』と思われたようで、

「Kちゃん、あなたもhyodoさんみたいなズボン穿いてくればいいのよ!

「hyodoさんに教えていただいたら?」

などと他の生徒さんに声をかけたりして、私に気を使って下さったようだ。

私は月に2度ほどウィーク・デーに東京都心の裏通りや古い住宅地を散歩をしている。散歩に出かけようとしていたある日、玄関で母に呼び止められた。

「あなた、それで出掛ける気?」

「何で?」

「そのズボン・・・」

「散歩だしね。靴もトレッキング用だし・・・」

「デートじゃないの?」

「変かな?」

私は気にせず散歩に出かけたが、散歩パートナーはどのように思っているのだろうか?

どうも評判が悪い私のクライミングパンツ。それでも先日、薄手の春夏ものを買ってしまった。もちろん勝負服ではないが、この世との間に誤解が生じ「勝負服」と呼ばれるようになってしまった。こうなったら徹底的に自分を戯画化して楽しもう!現在シリーズ化を検討中(笑)

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2005年4月22日

死と不条理

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今日、チャングムの誓い(NHK-BS2 海外ドラマ)を観た。ハン尚宮が死んだ。観ていたひとは色々と考えさせられたのではないだろうか?(私がハマりすぎなだけかも(笑))

これに関連して私がブログリンクさせていただいている「無聊仲間」の記事にちょうどリンクしたくなるような話題がありましたので、紹介させていただきます。

marinさんのブログ「自転車でおいで」の記事「ごめんね」を読んで子どもの頃を思い出した。小学校5年生の頃、友達の近所にカラタチの垣根で捕まえたアゲハの幼虫を10匹ほど育てたことがある。毎日新しい葉に入れ替えて世話していると、黒い幼虫は脱皮して綺麗な緑色になり、ついにサナギになった。ある早朝羽化したアゲハは割り箸に捕まって小さな頼りない羽を乾かしていたが、しばらくするとクリーム色と黒に青と朱のアクセントのある大きな羽になり、静かに羽ばたくと空へ飛んでいった。ほとんどは無事に羽化し飛んでいったのだが、そのうちの2匹が羽化したときに羽を伸ばすことができずクシャクシャになってしまって飛べなかった。羽化したばかりのアゲハが、羽を乾かす際にぶら下がる割り箸を入れて置くのを忘れてしまったからだ。捕まえた蝶やトンボの羽をむしったことは数限りないのに、この2匹に感じる罪の大きさは何なのか?

naokiさんのブログ「N’s factory」の記事「死を選ぶということ。。。。」ほぼ全面的に共感した。真実と不条理を受け入れないことが、その人の不幸の要因だと思う。と言いつつ私自身はそうできなかったりもする。

クルミさんのブログ「結婚まであと●日」のカテゴリー「じっちゃんのこと」。彼女のおじいさまが入院して、亡くなり、葬儀を行い、そしてその後の法要のこと、おじいさまの思い出が独特の表現で淡々と語られている。クルミさんのそのときそのときの気持ちが素直に表れていて、しかも “wet” な場面を “wit” で返す名文。

私自身の身の回りの死は愛犬が8年前に死んだときのみ。14歳、老衰。彼女は夜中に自らの死期を知らせてくれたので、最後を看取ることができた。最後ちょっと苦しんで起きあがろうとして、パタっと倒れてヒューと肺から空気が抜けた。翌朝仕事を半日休んで、ペットの火葬場で火葬した。「ペットの為の墓や骨壺は必要ない」とそのときは思ったが、灰くらいは庭に撒いてあげればよかったなぁ。1年後のちょうどこの日、旅先で寝込んでいた私は急に彼女を思い出して初めて泣いた。涙が止まらなかった。

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2005年3月31日

靖国神社のソメイヨシノ開花標準木を取材

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昨日、以前より楽しみにしていた開新堂でのランチのあと、桜を見に千鳥ヶ淵を散歩したのだが、まだ蕾は閉じたままであった。三番町にある戦没者墓苑には早咲きの桜があり、ここは満開ですでに散り始めていたが、花見の客は全くいなかった。九段下に近づくにつれて花見客はだんだんと増えていったが、千鳥ヶ淵のソメイヨシノは全く咲いていないので、皆途中で引き返してしまい、墓苑の早咲きの桜の存在に気がつけないようだ。ここは無料の駐車場まであるので、お暇のある方は見に行ってもいいかもしれない。

千鳥ヶ淵の端に着くと靖国神社が見えた。「そうだ、例の開花標準木を見に行こう」と思い立ち、大鳥居の下を通って参道を歩き、更に第二鳥居をくぐって境内に入った。標準木はすぐに見つかった。なぜなら大勢の報道陣がビデオカメラやマイクを持ちながらその木の回りに集まっていたからである。ちょっとおもしろい光景だったので、報道陣をバックに標準木を撮影した。しばらくすると東京気象台の開花判定担当者2名がやってきてデジカメで標準木を撮影し開花していないかを観察し始めた。どよめきとともに報道陣は殺到し、担当者のデジカメとは比較にならないほど高性能なビデオカメラで標準木をナメ始めた。一輪開きそうな蕾があったのだが、開花判定は×。そして次の標準木へ担当者が向かうと、報道陣一同も大挙して追いかけていったが、こちらも判定は×。担当者が上司に結果を報告するために携帯電話をかけ始めると、今度はマイクが殺到。「今日も開花は無しです」との報告が済むと場が少し和んで、今度は記者会見風に記者たちから担当者に質問が飛び交っていた。

二人のうち若い方の担当者がたまたま私の隣にいたので、私も質問してみた。

「無聊写記のhyodoと申します」(これはウソ)
「?」
「近頃、凶悪な犯罪や、大きな自然災害が続いております。明るいニュースを国民は待っていると思うのですが、今日も開花はまだなのでしょうか?」(これもウソ)
「??」
「先日、国会答弁で小泉首相は『参拝問題だけではなく開花判定も厳しすぎるのではないか』との懸念を示しましたが、東京気象台ではどのような議論が行われていますか?」(全くのデタラメ!)
「???????????」
「今日の開花は無しということですか?」(ここからホント)
「そうです」
「開花宣言の条件は?」
「2,3輪が咲いた状態です」
「本日また判定を行いますか?」
「今日はもうやりません。明日以降になります」
「明日は何時にいらっしゃいますか?」
「午前10時頃になると思います」

なるほど、このように開花の判定は行われるのか。この日、開花宣言には立ち会えなかったけれども、なんだか嬉しかった。

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