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2005年4月22日

死と不条理

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今日、チャングムの誓い(NHK-BS2 海外ドラマ)を観た。ハン尚宮が死んだ。観ていたひとは色々と考えさせられたのではないだろうか?(私がハマりすぎなだけかも(笑))

これに関連して私がブログリンクさせていただいている「無聊仲間」の記事にちょうどリンクしたくなるような話題がありましたので、紹介させていただきます。

marinさんのブログ「自転車でおいで」の記事「ごめんね」を読んで子どもの頃を思い出した。小学校5年生の頃、友達の近所にカラタチの垣根で捕まえたアゲハの幼虫を10匹ほど育てたことがある。毎日新しい葉に入れ替えて世話していると、黒い幼虫は脱皮して綺麗な緑色になり、ついにサナギになった。ある早朝羽化したアゲハは割り箸に捕まって小さな頼りない羽を乾かしていたが、しばらくするとクリーム色と黒に青と朱のアクセントのある大きな羽になり、静かに羽ばたくと空へ飛んでいった。ほとんどは無事に羽化し飛んでいったのだが、そのうちの2匹が羽化したときに羽を伸ばすことができずクシャクシャになってしまって飛べなかった。羽化したばかりのアゲハが、羽を乾かす際にぶら下がる割り箸を入れて置くのを忘れてしまったからだ。捕まえた蝶やトンボの羽をむしったことは数限りないのに、この2匹に感じる罪の大きさは何なのか?

naokiさんのブログ「N’s factory」の記事「死を選ぶということ。。。。」ほぼ全面的に共感した。真実と不条理を受け入れないことが、その人の不幸の要因だと思う。と言いつつ私自身はそうできなかったりもする。

クルミさんのブログ「結婚まであと●日」のカテゴリー「じっちゃんのこと」。彼女のおじいさまが入院して、亡くなり、葬儀を行い、そしてその後の法要のこと、おじいさまの思い出が独特の表現で淡々と語られている。クルミさんのそのときそのときの気持ちが素直に表れていて、しかも “wet” な場面を “wit” で返す名文。

私自身の身の回りの死は愛犬が8年前に死んだときのみ。14歳、老衰。彼女は夜中に自らの死期を知らせてくれたので、最後を看取ることができた。最後ちょっと苦しんで起きあがろうとして、パタっと倒れてヒューと肺から空気が抜けた。翌朝仕事を半日休んで、ペットの火葬場で火葬した。「ペットの為の墓や骨壺は必要ない」とそのときは思ったが、灰くらいは庭に撒いてあげればよかったなぁ。1年後のちょうどこの日、旅先で寝込んでいた私は急に彼女を思い出して初めて泣いた。涙が止まらなかった。

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カテゴリー:雑記 |  コメント (6) |  投稿者:hyodo

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