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2005年5月8日

論理と慣習 その2

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前回の記事は、内容の焦点が定まっていなくて、いったい何が言いたいのかわからないとお思いになった読者もいらっしゃるだろうが、もう少し我慢していただきたい。

ギリシャを離れトルコに渡ると、トイレット・ペーパーはあまり見かけなく無くなった。、中東、東南アジアの国々も同様なのだが、基本的に手動式ウォシュレットなのである。トイレには蛇口や水瓶があり、手桶で水を汲んで手で洗うのである。最初の数回はトイレット・ペーパーを持ってトイレに行ったが、すぐに手動式ウォシュレットに慣れたので切り替えた。その方が論理的にみると衛生的であることに気がついたからである。尻が濡れていてもそのままパンツを穿く。すぐに乾いてしまうので気にならない。そもそも手を洗った後に、ハンカチで拭くなんて滅多にしないではないか。

という話を以前 Kさんにしたら、「キタナイ!」と言われた。インド旅行のご経験もあるKさんは、現地でもトイレット・ペーパーをご使用されていらっしゃったようである。そこでKさんの発言を覆させるべく、私は次のような論理展開を行った。

A.付着した汚物は、紙で拭き取るより、水で洗った方が汚れが落ちて清潔である。
B.手に汚物が付着した場合、A は正しい。
C.当然、肛門の場合も A は正しい。

さんは上記についてはお認めなさったのだが、濡れっぱなしなのが不潔なのだとおっしゃるので、私は更に次のような論理展開を行った。

D.水で洗って清潔になったものは、濡れている状態から乾燥していく課程で、その清潔度が変化することはない。
E.例えば、洗った皿を水切りに立てかけたり、洗った手を自然に乾かすときが D に相当する。
F.当然、肛門の場合も D に当たる。

Kさんは上記についても「う~ん」とうなりながらもほぼ受け入れなさったのだが、今度は、濡れたままパンツを穿くのがキタナイ感じがするとおっしゃっるので、それに対して私は更なる次のような論理展開を行った。

G.水で洗って清潔になったものの水分を拭きとった布は、乾いている状態から濡れた状態に変化してもほぼ清潔である。
H.例えば、手を拭く為のタオルや、皿を拭くフキンがG に当たる。
I.当然、パンツが濡れたとしてもそれは G に相当する。

Kさんはちょっとためらいながらも「でも、キタナイもん」とおっしゃった。私はここで面倒臭くなったので論理展開をあきらめ、水掛け論に変更することにした。「キレイ!」「キタナイ!」「キレイ!!」「キタナイ!!!」当然、議論は平行線のまま。しかし、Kさんの強力な決め台詞「だってほんとうだもん!」が聴かれなかったので、私は少し満足した。ちなみにこの議論はKさんと私の間で何年にも渡り繰り返されている。

このゴールデンウィークにKさんとも面識のあるTがインドを旅行した。帰国報告の電話をもらったので、トイレではトイレット・ペーパーを使ったのか、手動ウォシュレットを実行していたのか訊いてみた。回答は、トイレット・ペーパーを使用していた、手で洗うのは清潔では無い。なぜ清潔ではないのかというと、「指に染み込むから」とのことだった。
そりゃ、すり込むように洗えばそうだろうが・・・。

KさんにTのこの話をメールでお伝え申し上げると、いつもより早くお返事を頂いた。
>そうですか。Tさんも同じですか。
>てかふつうですよ!!
>hyodoさんがマイノリティーなのです。笑。

何?マイノリティーだって?どっちが!インドは10億人もそうしているんだぞ!!と私は思ったが、結果として論理は慣習に及ばないことを思い知った。私はKさんとTに負けた。論理が正しいとしても慣習は宗旨替えをさせることと同じくらい大変なことなのである。

わたしは悔しかったので、インドにもバングラディシュにも行ったことがあるYさんにこの話をしてみた。Yさんは私の論理展開はどうでも良かったみたいだが、「多様な文化があるということでいいじゃない」と言ってくれた。私は仲間ができたので嬉しくなり、ようやく心涼しくなったのだった。

※ちなみに私の自宅のトイレはTOTOのウォシュレットを設置している。トイレット・ペーパーで水分は拭き取っています(笑)。日本は濡れた服が乾くのに時間が掛かりますので・・・。

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カテゴリー:雑記 |  コメント (6) |  投稿者:hyodo

2005年5月6日

論理と慣習 その1

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私は26歳のときに、欧州・中東・東南アジアをいっぺんに旅行した。初めてのひとり海外旅行はイタリアからスタートした。ある程度のホテルに泊まり、毎晩レストランで食事をした。それでもバック・パッカー気取りだった。私はかなり世間知らずだったので(今でもそうだが)、バック・パッカーを相当勘違いしていたようだ。「バック・パッカーっていうのはたいしたものだ」と思っていたのである。イタリアでの最初のひと月の出費は30万円を軽く超えていた。それから半月ほどしてCITI BANKの残高をチェックしたとき、「どうもこれでは1年間も旅行を続けられそうもないな」とようやく悟り、ユースホステル(以下YH)や安宿のドミトリーに泊まったり、市場の食堂を利用するようになり、経済的な旅行を心掛けるようになった。ようやく旅慣れてきたころイタリアを後にしてオーストリア、ハンガリー、チェコ、ドイツ、フランスを廻った。

ギリシャに行ったあたりから世界は今までと違う様相を見せ始めた。アテネの空港に深夜未明到着し(安い航空券は深夜到着が多い)、ツーリストインフォメーション(当然もう閉まっている)のカウンターに置いてあった何件かのYHのカードの電話番号に空室(正確には空きベット)を問い合わせ、「No.5」というくたびれた感じの小さなYHにチェックインした。ここの特徴は下記の通りである。

A.2つの建物の1間ほどの隙間にビニールトタンの屋根を架け、その下をリビングとしている。
B.屋上に雑魚寝で泊まれる。
C.自由に自炊できるキッチンがある。
D.1泊8US$である。
E.トイレにトイレット・ペーパーが無い。

さて、A~E の項目の中で、今でも私に影響を残しているのはAである。細長い廊下のようなリビングは小さなテーブルと椅子が分散し、各室から見下ろすことができた。幅は狭いのに、見通しのやたら良い半屋外空間で、そのまま屋根のないアプローチにL字に折れ曲がってつながり、そこもリビングの延長として使われていて、変な空間なのだがなかなか良かった。少なくとも新しい空間体験をしたと思う。「廊下リビングの家」なんてコンセプトでいつか住宅の設計をしてみたいくらいだ。

B~D は、バック・パッカーが泊まる宿としてはごく普通のことである。当時の私はかなり驚いた。「寝袋を持ち歩いている旅行者って本当にいるんだ、深夜特急の世界だけでは無いんだ」と初めて思ったし、旅行中に自炊するという発想も無かった。宿代はアテネでも最低の水準で、こんな金額で泊まれるなんて信じられなかった。

そして E だが、翌朝トイレに行ってみるとトイレット・ペーパーが無いので、同室の人に「トイレット・ペーパーがどこにもないんだけど、みんなどうしているんだろう?」と聴いたら「ハァ~~~~ッ?」と言われた。私が状況が読み取れずにいると、「オレの使っていいよ」とトイレット・ペーパーを投げてくれた。再びトイレに向かいながら私はようやく理解した。「これから先の国ではトイレット・ペーパーを自分で用意しておかなければならないんだ」と。「それにしてもなんでこのトイレット・ペーパーはつぶれているんだろう?」よく見てみると、芯が抜かれていたのだった。

つづく

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カテゴリー:雑記 |  コメント (3) |  投稿者:hyodo

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