2009年6月の記事

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2009年6月20日

宇宙飛行士記念博物館

宇宙飛行士記念博物館
宇宙飛行士記念博物館とは、クレムリンの北約7kmにある全ロシア博覧会場入口(ゲートの外)にある、ガガーリンの功績とソ連の宇宙技術を讃えた博物館です。写真のよに非常にモニュメンタルな建築で、ロケットと噴射ガスのスカルプチャの部分はチタン製だとか。中央奥のバームクーヘンを切ったようなビルはホテルコスモス。

宇宙飛行士記念博物館
上の写真が基壇部分でガガーリンを讃えた浮き彫りがあります。この内部が博物館です。建設年代がちょっとわからないのですが、ヴェンチューリ&ブラウンが『ラスベガス』を執筆していた頃位ですかね。チタンのスカルプチャにブロンズの浮き彫り・・・・・・この建築は大変高価な「ダック」です。ガガーリンの宇宙飛行は1961年ですから建設はそれ以降で、『ラスベガス』の発表は1972年です。

宇宙飛行士記念博物館
それほど展示点数が多いわけではありませんが、宇宙服、ミール等の模型などが観賞でき、宇宙ムードを楽しめます。

宇宙飛行士記念博物館
その後モスクワからキルギスへ行ったのですが、首都ビシュケクからカラコルへ行く途中、上の写真中央上部のモニュメントを発見。モスクワの宇宙飛行士記念博物館のモニュメントの縮小コピーです。現地の人から聞いてわかったのですが、カラコルの近くにガガーリンは別荘を持っていて避暑に来ていたんだとか。

宇宙飛行士記念博物館
先の4枚の写真は2004年の記録ですが、2008年、埼玉県所沢の西武新宿線線、航空公園駅ロータリー近くにて、このようなモニュメントを発見!!かなり似ていますというか、これを製作した方は、モスクワの宇宙飛行士記念博物館を知っていたに違いありません。こちらもチタン製です・・・・・・たぶんいいとこステンレスでしょう?

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2009年6月19日

最北のモスク

最北のモスク
世界最北のモスクだそうです。場所はサンクト・ペテルブルグ、アレクサンドロフスキー公園の東側脇にあります。『ロシア建築案内』のデータは下記

1882年 計画が持ち上がる。
1906年 モスク建設委員会設立(後に首相となるP.ストルィーピンとブハラ・ハン国王より資金援助)
1907年 ニコライ2世、モスク建設許可
1908年 設計コンペ開催。N.ヴァシーリエフが「チムール」「アラベスク」の2案で1位、2位獲得。実施案は2案の折衷。

コンペ案「アラベスク」のドローイングが『ロシア建築案内』に載っているのですが、これが面白いです。ミナレットは1本のタワーに集約され、メインドームのフォルムも実施より更に縦に長く、小さなドームも合わせた全体のバランスが東方教会的だったりします。

最北のモスク
建物正面の写真を撮ろうとしたら、逆光な上太陽高度も低い(8月です)ので、ミナレットに太陽を隠して撮影。このモスクのメインの入口(イーワーン)は東側(写真右側面)です。ここまで書いてミフラーブの方位はどちらになるのかグーグルマップで調べたところほぼ真南がメッカになるんですね。

最北のモスク
メイン・イーワーンです。前の写真の正面は北立面ですが、右側面の東立面を見ると、どのようなバランスでこのイーワーンがあるのかわかると思います。シンメトリーではなく、東立面の左側すなわち北東角になります。日本では丑寅の方位で鬼門ですね。このモスクの東側は、トロイツキー橋につながるカメノオストローフスキー大通りに面しており、ミフラーブは南になるので、北東をメイン・イーワーンとしたのでしょう。

最北のモスク
ドームには襞がありゴージャスです。襞付きドームはウズベクのビビ・ハーヌムなどにもありますが、フォルムがどのドームより高くそれでいて尖塔型ではないので珍しい気がします。内部は公開されていなかったので、泣く泣くモスクを後にしました。当然ながらソ連時代は全く使われていなかったと思いますが、現在信者はどうしているのでしょうか?

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2009年6月18日

メーリニコフ邸

更新が滞っていますが、ロシア建築をご紹介していきたいと思います。メーリニコフ邸はロシア屈指の近代住宅建築です。2004年当時一般公開はされていないので、道路側と隣の集合住宅の共用スペースから覗く程度しか見学できませんでした(今もたぶん個人邸なので無理)。コールハースはロシア・アバンギャルドを研究しているときにメーリニコフ夫人に中を見せてもらったそうです。

メーリニコフ邸
モスクワのアルバート通りの裏道にあるのですぐに見つかります。写真は道路側から見たところです。ダウンタウンの街並みは建物どうしが隣接しているのが普通ですが、メーリニコフ邸は都心部にもかかわらず隣の建物との間に空間があり、街並みから切り離されています。道路側の庭木が生い茂っており、前面には門というか塀があるので、カーテンウォール?のあるあのファサードはほとんど見ることができません。

メーリニコフ邸
塀に近づいてみると、樹木(プラタナスかな?)ファサードが少し見えます。館銘板もありました(写真右)。シリンダーのボリュームもわかります。シリンダー上部の鉢巻のようなパイプは何なのでしょうか?カーテンウォールにはカーテンが掛けられており、室内をうかがうことはできません。

メーリニコフ邸
左隣の集合住宅の裏庭の塀から覗くと、六角形の開口部のあるもう一つのシリンダーが見えます。開口部は内付けの2重サッシになっていて、とてもキレイな納まりです。FIXの窓と外開き(室内側は内開き?)と思われる窓の2種類があるようです。街中なのですが、写真でわかるとおり日当たりがあり、なかなか良い環境にあります。室内の光はどんな感じなのでしょうか?不思議な都市のパノラマが見えるのでしょうか?中に入ってみたいですね。

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2009年6月17日

「おすすめ商品」機能をかわす

Amazonには、次のような便利な機能がある。

・この商品を買った人はこんな商品も買っています
・おすすめ商品

言わずとしれた機能だが簡単に説明すると、顧客一人一人のこれまでの購入履歴と「欲しいものリスト」に登録しておいた商品に関して、Amazonがその商品と他の商品の連関を統計的に分析し、その商品と売上げ上強い連関のある商品を抽出し顧客に提示することによって、新たな消費を顧客に呼び起こすという機能である。顧客にとっては興味が広がり、Amazonにとっては売上が伸びるという、良くできた機能である。

このようなシステムをレッシグは「アーキテクチャ」、東浩紀は「環境管理型権力」と呼び、人の行為を制約する力とみなし、鈴木謙介は「偏在するわたし」があらゆるところで立ち現れ宿命的な選択を迫られる、と言っている。その他さまざまなネット社会分析の書籍でも、大方「モニタリングされているのはちょっと怖いけど、便利だからどうしようもない」という少し批判しながらも対抗手段はないので、今は傍観するしかないというような意見が大勢である。

そこで、僕はささやかな反抗を試みている。

「おすすめ商品」は図書館で借りる、のである

残念ながら借りられるものは書籍と一部のCD、DVDに限られてしまうが、少なくとも僕の場合、これでAmazonでの購入金額は半分は減った。そんなわけで、僕はせっせとAmazonに欲しいものリストを登録し、「おすすめ商品」をたくさん紹介してもらい、図書館でネット検索&予約している。

しかし、アーキテクチャから逃れているわけではないので、反抗というよりはちょっとかわす程度のことですが・・・・・・。



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2009年6月2日

都市がつまらない理由

なんとなく図書館で目に付いた宮台真司の『ダイアローグズⅠ』を借りた。この本は、1994~99年の間に新聞・雑誌などに掲載された宮台が参加した対談・鼎談・座談会をまとめたものである。さまざまな人物とのやりとりが交わされているのだが、全部読むのは大変なので興味がある相手のところだけ読んだ。島田雅彦、宮崎駿、上野千鶴子、岡田斗司夫、藤原新也、田中康夫、広末涼子、東浩紀、福田和也、隈研吾、山本直樹 etc…..

援助交際関係の記述が多く、当時の宮台の興味がよくわかり、どちらかというと宮台マニア向けの本といった感じである。上野とのやりとりは対談の内容よりずっと面白かったり、宮崎駿や藤原新也は違う一面も見れるし、東とは初顔合わせだったり、山本とは一ファンとして対談するなど、なかなか楽しめる。

そういった中で、隈研吾が司会役を務めた「すべてはバラック建築にすぎない」という日本の建築と都市をテーマにしたシンポジウム(パネリスト:福田和也×宮台真司×島田雅彦、掲載誌:『建築ジャーナル1999年12月号』)を興味深く読んだ。10年前の対談なので、このメンバー全員の大御所感は今ほどではなかったはずだが、言論の世界はそれほど変化がないのだなぁ、と感じた。

塚本由晴が気まぐれな都市のありようを(アイロニカルに)肯定し無害化する作法を建築界に浸透させたせいか最近都市論は流行っていないようだし、ドバイやシンガポール、中国の諸都市は注目されてはいるが、コールハースのいう「ビッグネス」そのもので、建築家は主体的にプランにかかわることができなくなったので建築界で都市が論じられることはここ10年で少なくなっていたことも、変化が少ないと感じた遠因かもしれない。

さて、パネリスト各人の主張をものすごく簡単にまとめると、

福田:日本はシステム的に建築どころか民主主義も国もデザインできないのだから、都市がバラックで埋まってしまっているのは仕方がない。これを克服するための2つの選択肢がある。ひとつは超越的な権力によって都市をデザインする、もうひとつはバラックである現状を肯定することである。

宮台:モニュメンタルな建築や国家権力に対抗してアンチモニュメンタルであろうとした70年代の建築は、考え方がすでにズレていた。80年代は、いちいちヴァナキュラーな物語を建築に付加させようとしたことが現実から乖離していた。90年代になってハコモノ単体に物語を込めることを否定的にとらえようとする姿になってきたことは、非常に自然で必然的に思われる。日本の建築家たちの歴史や公的な文脈に対する鈍感さを指摘したい。

島田:バラックであることをキチンと認識してからモニュメンタル云々の意味をもっと深く考えるべき。でもバラックであるかあこそ時間的歴史的な制約を持たないことから来る自由だけは持っているのだから、それを前向きに建築の条件としてもよいのでは。自宅に関してはパブリックと共同体の関係の調整方法や、生活と建築物のアクティブな関係に興味がある(その後の発言で南大東島の島民の生活について言及しており、南大東島の生活に影響されて自宅のコンセプトを考えたようだ)。

隈:3人の建築家に対する批判は、バラックだからこそ注意深く設計せよ、コミュニカブルなものを設計せよ、ということで要するにあたりまえのことをあたりまえにやれということで、結論は極めてモデレートである。今、気になっているのは、委員会や審議会システムなどで意見を聴取してものを(建築を)つくっていくと、コミュニケーションに配慮した建築ができるというような幻想がある。言語が計画に優先するという錯覚に基づいたシステムがどんどん都市をつまらなくしていく危険があるような気がする。

さすが隈さん、3人の批判を受け入れながらもその批判のありきたりさを逆に批判しないながら牽制した。言説は、もの(建築)ができてから発せられるあとだしジャンケンのようなもので、あとからならいくらでも欠点をあげつらうことができる。また、もの(建築)の仕様に関して有識者が何かを提案・要求したとしても、それは極めてベタで慣習に捕らわれたつまらぬ言説がほとんどである現実がある。

隈:建築がモニュメンタルであるべきか、あらざるべきかと問われれば、どちらとも言えないというべきであり、モニュメンタリティーを否定したものの中にはしばしば逆説的に別種のモニュメンタリティーが浮上してしまう。都市に対して開くべきか閉じるべきかと問われれば、どちらとも言えないというべきであり、開くべき部分もあれば閉じるべき部分もあるはずなのである。~中略~一言でいえば言説が現実に優先した時代(戦後50年のこと)だったのであり、言説によって現実が歪められ、破壊された時代だったのである。

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