2005年9月30日

「そうです、ナタリー」 谷間の百合 -その1-

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4ヶ月ほど前、「谷間の百合」(バルザック著)を読んだ。

読む気になったきっかけは「夜霧の恋人たち」(>>関連記事)である。この映画の冒頭で主人公アントワーヌ(ジャン・ピエール・レオ)が牢屋の壁に寄りかかって、「谷間の百合」を読んでいるシーンがある。映画のストーリーを予感させるカットなのだろうが、知らなかったので非常に残念に思った。そこで「トリュフォーが取り上げているんだからきっと面白いに違いない」と思い読んでみることにした。

この小説は主人公フェリックスが自分の恋の経歴を「聞きたい!聞きたい!」とナタリーという恋人候補がせがむので、しょうがなく打ち明け話をするという設定なのだが、本当はフェリックスがナタリーに聞いてもらいたい、むしろ聞かせたいのである。それでもって普通女性には話してならない内面的なことまでナタリーに聞かせ、ウンザリさせてしまうというお話なのである。ただそれ故に私にとっては青春時代に疑問に思っていたことやぼんやりと感じていた事柄のフォーカスがはっきりとして、非常に(仕事にしても恋愛にしても)ためになりました。スタンダールの「赤と黒」を7年前に読んだとき以来の心に残る小説でした。

さて、この作品は古典文学作品である。古典文学をあまり読まない人も興味を持っていただけるように、非常に偏った見地から考察していきたいと思う。小説前半(あくまでも前半のみ)は病的なまでのプラトニック・ラブで退屈してしまうかもしれない。なぜなら何の描写(ここで「描写」とは極めてプライベートな行為を指すことにする)も無い。小説の前半で唯一直接的な「描写」はフェリックスがモルソフ夫人=アンリエットの背中に接吻するシーンだけで、その後アンリエットはフェリックスを精神的には受け入れながらも、身体的には手を取ることしか許さないという徹底振りで、何の(エロス)期待もできない。しかしトリュフォーが主人公に読ませたほどの小説なのだから理性的な建前だけでない何かがあるはずだと思い、私は何か(エロス)を期待しながら読み進んでいった。そうしたら、そっち方面の名言が溢れていたので、私はうれしくなった。読者の方々もそちらの方面への興味なら少なくないと思われるので、フェリックスの台詞から特にそういった箇所のみを抜き出してみよう。

まず、それを予感させる文

『私たち男に愛されている女性の特権は、何ごとにつけても私たちに、良識の掟を忘れさせてしまうことにあるのです』
(序章第1行目)

恋は、道徳も法律も紳士協定も通じない世界であると、事前に断りを入れておいて、これからの暴露話で自分が非難されないようにしているのですな。

バルザックはモデル体型が好みだったようです。

『私が丸い身体つきより、平たい身体つきに軍配をあげるとしたら、あなたはお気をわるくなさるでしょうか』
(第1章 新潮文庫版 49p)

このあとにかなりの偏見発言があります。

『前者よりも後者のほうがより女であると言えましょう。平たい身体つきは、しなやかで柔軟さに満ち、丸い身体つきは柔軟さに欠け、嫉妬深いのです』

お断りしておきますが、僕が言っているのではありません。バルザックがフェリックスを通して言っているのです。

擦れた男性諸氏は共感度大かも?

『年を経るにしたがって、私たちは、女性のなかの女性だけを愛するようになるのです。ところが初恋の女性の場合には、その女性のありとあらゆるものを愛するのです』
(第2章 新潮文庫版 137p)

まだ擦れる前の純なフェリックス君はこんな感じでした。

『彼女がごくまれにしかその手にゆるさせてくれぬ接吻に、おのれのすべてをあまさずそそぎこむことができるほど若かったのです』

世のすべての男性諸氏が共感度大!

『なぜ肉体はそのつぶやきをやめようとしないのでしょう』
(第2章 新潮文庫版 141p)

とフェリックス君はぶつぶつつぶやきながら「官能の花束」をアンリエットにプレゼントして、彼女を恥ずかしがらせたりします(笑)。花の名前は唱えるだけでエロスを感じさせます。非常に高度な技術ですね。

NHKの「名作平積み大作戦」でも取り上げていた問題発言!

『僕は決して愛したのではありません。ただ砂漠のなかでのどが乾いただけなのです』
(第3章 新潮文庫版 326p)

フェリックスがダドレー夫人と関係を持ってしまったあとで、アンリエットにする言い訳。旨い台詞だとは思いますが、こんなこと言われたら女性は怒りますよねぇ。実際アンリエットも「砂漠でですって」と絶句しています(笑)。ちなみに「砂漠」とはパリの社交界のことなのでした。よくもまあ、こんな比喩を思いついたものです。

次回はもう少しマジメに考察したいと思います。

関連記事
「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その2
「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その3
「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その4

参照記事
虚偽的恋愛生活 >> 愛しのフェリックス

今日の写真 ~カラフル その6~
どうもカラフルな写真は外国が多いようです。今回はモスクワは赤の広場にあるカザン聖母聖堂の内部。他のロシア正教の建物に比べるとパステル・トーンでかわいらしいです。

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カテゴリー: |  コメント (9) |  投稿者:hyodo

コメント

hyodoさんは、こうして恋愛偏差値を
あげていらっしゃるのね。
勉強になりました。
女性に何でも打ち明けてしまうのは
タブーですよね、その逆もしかり。
なのに若いうちは何でも喋ってしまった。
ああ懐かしい。

2005年9月30日 @ 3:26 PM

sibainuさん、こんにちは!
赤坂での個展おめでとうございます。
恋愛偏差値・・・・・洒落た言葉ですね。
偏差値アップには、トキメキや切なさ、憎しみといったレベルに留まっていてはダメで、
何か異なるスケールが必要ですよね。
今度、タブー大会しましょう(笑)

2005年10月1日 @ 11:47 PM


sakura

この色ってなに?
素敵な色だなああ。
ユーラシア大陸、東の方じゃなくて西にもいかなくちゃって感じだね。

2005年10月2日 @ 12:45 AM

sakuraさん、おはようございます。
ロシアって何でも派手なんですよ。
結構テーマパークっぽいです。
日本では寂びた寺社に見慣れているから、
タイに行くとその原色の寺社にびっくりしますよね。
同じように、イタリアやフランスで鄙びた宗教建築に見慣れているのに、
ロシアでこんなものを見せられると面白いなと思うわけです。

2005年10月2日 @ 9:34 AM


sakura

それは、寒い冬に閉ざされるから?
プーシキンが、それまでフランス語オンリーだったロシアにロシア語の文学を作ったという漫画をこのまえ読みました。
ロシアってヨーロッパとしても異質なのかも。
行ってみたいな。

2005年10月6日 @ 10:56 PM

sakuraさん、こんばんは!
ロシア文学はお薦めですよ!
考え抜くことが好きなんでしょうね、ロシア人は。
おっしゃるようにヨーロッパとは違うと私も思います。

2005年10月12日 @ 1:28 AM

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