July 26, 2009
"summer vista" を開催します

僕が企画に参加している Prospect Art Project 企画のアート・イベントを開催します。さまざまな人のご協力により、素晴らしい企画になったと思います。レセプション・パーティーも開きますので、是非お越しいただき、夏の夜をお楽しみください。上の画像をクリックすると参加アーティストの情報等を見ることができます。今回も京都在住のデザイナー石黒さんにウェブ・フライヤーを作成していただきました。
白金台にあるヘアサロンProspectでおこなわれているMonthly Galley。2009年の夏は、7名のアーティストによる共演、そしてテーマは"SUMMER VISTA"。7名のアーティストがそれぞれの心で捉えた夏のシーンを演出します。
会期:2009年 8/1(土)〜31(月) 10:00〜19:30
定休日:火曜日(8月13日(木)から20日(木)は夏期休業)
※ヘアサロンでの展示になりますので、普段は通常営業のため作品を御覧になる際は、事前の連絡が必要になります。オープニングパーティーはどなたでも入場可能ですのでぜひ、そちらに お越し下さい。
レセプション・パーティー: 8/4(火) 19:00〜21:00
サウンドプロデュース:DJ Saara
入場は無料です。各自で飲食をお持込みください。
ドレスコード:夏を感じさせる装いでお越しください。
参加アーティスト(50音順):
・安斉 将(イラストレーター)
・小沢信一(イラストレーター)
・加納亨真(フォトグラファー)
・佐藤照雄(プロダクトデザイナー/カーデザイナー)
・chiyo(イラストレーター)
・どらしまひろみ(VJ)
・三上紗智子 (フォトグラファー)
主催・会場: Prospect Hair Design
東京都港区白金台4-9-18
バルビゾン32 3F
TEL 03-3445-1550
企画: prospect art project
投稿者 hyodo in
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February 17, 2009
「建物のカケラ ~一木努コレクション~」を観て
東京都立小金井公園内にある江戸東京たてもの園にて、3月1日(日)まで。一木努コレクションのことは、藤森さんか赤瀬川さんの本で知っていたが、実際に拝見するのは初めて。なんと23年ぶりの展示とのこと。久々にかなり行きたいと思っていた展覧会だったのだが、実際の展示は僕の過大な期待を裏切らない大変密度の高い、小さい会場にもかかわらず様々な粋が凝らされ、楽しめる内容だった。
一木コレクションとは、主に大正~昭和20年代に建てられた建物が、高度成長期からバブル経済期を経て現在までに取り壊された近代名建築の残骸の一部(石、レンガ、タイル、モルタルの破片、金物、手すり、建具など)を独自の審美眼で採取・保存したものである。収集物はあくまでも「カケラ」であって再利用可能なものは極めて少ない。収集範囲は全国に900ヵ所及び、今回の展示ではそのうちの700点が展示されている。驚くべきはこれらのコレクションは一木さんの本業(歯科医)の傍ら、建物の解体現場に通い収集されたものであることである。
僕が訪れた2月15日(日)には、会場に一木さんご本人がいらっしゃったので、少しお話することもできた。以下、その内容の記録。
hyodo:今回の展示はどのような経緯で実現したのですか?
一木さん:たてもの園の学芸員の方(浅川範之氏)が家までコレクションを見にきて、是非展覧会をやりたいということで実現しました。
hyodo:コレクションはどのように保存されているのですか?
一木さん:大体は段ボールにカケラとそのメモと一緒に入れて、借りている納屋に積み上げています。
hyodo:このカタログは無料で頂いていいのですか?すごい密度の内容ですね。売れますよね(薄いが内容は濃い。これを貰いに行かない手は無い)。
一木さん:いいでしょ。学芸員の方が作ってくれたのですが、僕もこれなら売れると思うんですけどね。
ちなみに「建築の忘れがたみ―一木努コレクション」( INAXブックレット1985年刊、絶版)は現在高額で取引されている。
ここで、お知り合いが会場にいらっしゃり会話は途切れてしまい残念。展示順路を辿って行くと会場の出口の壁には「時」の字があった。その木製切り文字は、一木さんの地元下館にあった時計店の看板文字なのだが、この日拝見したどちらかというとユーモラスにさえ見える「カケラ」たちの本心を最後に突きつけられたような気がしてドキリとした。
帰り道、いろいろと「建物のカケラ」展のことを考えた。思いついた順に述べる。
- 第一勧銀本郷支店の天井飾りと、徳島県庁の換気口が欲しいな。日仏会館や吉阪隆正邸のタイルも良かった。
- 一木さんは近代建築の遺族なのだな。ただ集めるだけで(不動産・建設業界に)批評性を帯びてしまう行為ゆえ、23年間も展示が途絶えてしまったのかも。
- MビルやM地所、M不動産など(Mが着くところが多いな)のトップにはわからない・解れないだろうな。自己矛盾・自己批判となったとしても展覧会の援助すれば、彼らにメリットこそあれデメリットはないだろう。なぜなら彼らの援助があれば一木コレクションの批評性が弱まるからである。
- もっと大会場でやっても良い内容と点数の展覧会だったから南条さんがM美術館でやったりしたら面白いのに。RCAビルの壁画にレーニンを描いたリベラのように追い出されたりして。でもロックフェラーはギャラは支払ったけど・・・・。
今日の写真
江戸東京たてもの園には27棟の移築・復元建築物がある。この写真は「常盤台写真場」(昭和12年建築)の写場。北側の大きな高い窓からの光が気持ち良い空間をつくっています。
投稿者 hyodo in
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February 13, 2009
『つながる身体 伝える身体』に参加
2月11日(水)10:00~16:00、川口メディアセブンのワークショップ「『つながる身体 伝える身体』 能における身体技法」に参加した。能は昔、鎌倉のお寺での舞台に連れて行って頂いたことがあるくらいで、知識はほとんどなかったが、能の鑑賞をしたり解説を聴いたりするような勉強会とは違い、実際に自分の身体を動かして能の世界を理解・認識してみようという趣旨のワークショップで、面白そうなので参加してみた。以下、備忘録。
講師:安田登さん(能楽師:ワキ方下掛宝生流)、アシスタント:クスミさん
アプローチ1/能とは?
主にシテ、ワキからなる日本の古典芸能。シテは大抵この世の人ではない死者や精霊などであることがほとんどである。能面を着けるのはシテのみ。
古代中国の甲骨文字は、身近な動物や人の身体を表したものが多く現代の漢字のほど抽象化されていない。まだ「心」の文字はなかったので、「心」という概念が存在しなかったものと想像される。たとえば「取」という動詞は「耳」と「手」という人体の部位の組み合わせで行為を表現している(当時は耳で個人の識別をしていたようで、敵を倒したときは首を取るのではなく、耳を切ったらしい)。こういったことから、当時はさまざまな事象を概念(心)ではなく、もっと身体に近いところというか体全体で読み取っていたのではないのかと思われる。(甲骨文字の成立より能の成立はずっと後の年代であるが)能は概念ではなく体で感じる行為である(安田さんはもっとわかりやすく良いことをおっしゃっていた)。
アプローチ2/ロルフィング
―実験1―
- まずできるだけ前屈をする。>僕は体が硬いので床に手が着かない。
- 横に人に立ってもらって、片手をその人の上腕に添わせながら前屈をする。>最初より曲がる。床に指先が着く。
- 2と同時にティッシュを撚って奥歯で噛みながら前屈をする。>さらに曲がる。
- 隣の人の上腕に片手を添わせているイメージで、奥歯でティッシュを噛んでいるイメージで前屈をする。>イメージするだけで曲がるようになる。
- 更に前屈しながら人差し指を動かしてみる。>まだまだ曲がる。
この実験は体が硬い僕にとって結構驚きだった。体が硬いということは、脳と筋肉の情報のやり取りが十分に出来ていないからであるということは知っていたが、ある行為やイメージを加えることにより、脳と筋肉のネットワークが強化されるようだ。
―実験2―
能において、腕とは肩甲骨、胸骨及びまわりの筋肉も含む範囲である。足とは大腰筋の始まる腰の部分を含む範囲である。そのことを意識しながら力を抜き、振り子のように腕・足を振ることにより、肩甲骨の筋肉・大腰筋が緩み、腕・足が長くなる。大腰筋が緩み足が長くなった状態で歩くと、左右の足の長さが同じではなくなるので、少しの間、歩くと変な感じになる。
能で使われる楽器
囃子は舞台正面右から、笛、小鼓、大鼓、太鼓の順で並ぶ。横縦横縦という並び方であり、陰陽にも即している。囃子とは「生やす」の名詞系「生やし」が語源で、舞台を活性化する役割を担い、演奏することとはニュアンスが異なる。能で使われる笛(能管)は見た目は雅楽で使われる竜笛に似ているが、メロディーを奏でる楽器ではない。能管は息を強く使い、運指は「指を打つ」といわれ、管楽器ではなく打楽器として使われ音階も無い(実際には音階はあるが意識されない)。また倍音が出にくい構造になっており、音階が意識されないが故に謡(うたい)との調和が図れる。能管には「ひしぎ」という音がある。「ひしぎ」とはこの世あの世の境界を破壊しつなげる音の意である。
能の呼吸
―実験1―
意識的に「はき」、自然に「すう」を繰り返す。なれてきたら軽く声帯を鳴らすように声を出しながら「はく」。
「呼吸」とは、「はいてすう」ことであり、能において一番大事なことである。特に「はく」ことに注意する。激しい運動の後で息が切れるときには、吸い込むことに注意を向けがちであるが、十分に息をはいた方が呼吸が整うまでの時間が短い。その証拠に海女(アマ)は長時間海中に潜ってから海面に顔出して最初にすることは、息を吸うことではなく「はく("口"偏に"つつみがまえ"の中に"口"と書く。この漢字はSJISやUnicodeには無い」。呼吸は普段は無意識にされているが、コントロールすることもできる。自分の行為において意識して行ったことは自分の意思だが、無意識になされることは神の意思である、と昔の人は考えていた。能では意識と無意識の中間、覚醒と睡眠の中間を目指す。
―実験2―
新聞紙を破る。左手に持って垂らした新聞紙を「ハッ!」など大きな声を出しながら右手パンチで突き破る。体を動かすということは、引く筋肉と伸びる筋肉があるということである。声を出すことにより伸びる筋肉のブレーキを外しより早く腕が動作する。
YouTubeで近い映像を見つけました > http://www.youtube.com/watch?v=jv35J8_rwQI
摺り足
大腰筋をまず意識する。内部の筋肉を使うには、ゆっくりと小さく動いてみる。うまくいかないときは胸骨を広げるように。後頭部も意識して頭の位置を確認。
能鑑賞
安田さん、槻宅さん、水野さんによる小作品の公演。題目「道成寺(一部)」、「夢十夜 第一夜」、「夢十夜 第三夜」、「吾輩は猫である(猫が餅を食べるシーン)」
感想
昼休みを挟んで6時間にもおよぶワークショップでしたが、最後まで大変楽しめました。定員30人のところ55人が参加したそうで、大盛況でした。その55人は5グループ11人ずつに分けられたのですが、僕が入ったグループには川口市民は僕ひとりで千葉や東京の遠方から参加した方が結構いました。ひとつの市では、これほどよくできたワークショップでも人を集めるにはなかなか大変なようです。
投稿者 hyodo in
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December 9, 2008
ヴィルヘルム・ハンマースホイ展

12月7日まで、国立西洋美術館にて開催。電車の車内吊広告が気になっていたので、観に行きたいと思っていた。
なぜ気になったのかというと、
- フレーミングが写真表現のように決まっていること。
- 個人的内面が強く表れ、19世紀末の絵画の表現形式と少し異なっていたこと。
- 内田善美の「星の時計のLiddell」に出てくる幽霊屋敷のような静かな人の気配が感じられたこと。
わかったこと
- 実際の画面はもっと大きく、トリミングをしている。作品によっては、絵の具によるトリミング・ラインが残っている。完成作品は枠から一度はがし、再度張っているため、直線が歪んでいることがある。要するにタブローは、描きこんだ習作の一部であるということである。
- 写真を元に絵を起こすことも多い。
- 作品の大半は、自宅の「室内」か「室内と妻」を描いたものであるということ。しかも同じ場所を同じ構図で何度も描いた。海外旅行は結構行っていたらしいのだが、旅先ではほとんど描かなかった。
- 内装や什器がシンプルなビクトリアン様式であること。3と4が「星の時計のLiddell」っぽい。
- 壁や床を描く筆のタッチが微妙である(一流の画家ならあたりまえだが)。繊細だが曖昧な筆使いから材質や光や空間を感じとれる。
- 画面の色数が少なく、ほとんどモノクロと言ってもよいのでは?と思う。
- 常に空間の抜けを意識して室内を描いていること。
- 暗い部分や影となる部分は、絵具をほとんどのせない。カンバス地が見えていることもある。これは実に興味深いことで、人間の眼の特性を生かした暗い部分の圧縮率が高い画像フォーマットJPEGのようであるし、カンバス地が見えるというのは、デジカメで長時間露光した時のノイズのようである。
平日の午前中に観に行ったのですが、展示最終週であったために、美術館は混んでいました。もっと早めに観にいけばよかったです。
今日の写真
ハンマースホイの作品のように、誰もいない静けさの漂う室内写真を探しました。中央アジアのフェルガナ盆地にある街コーカンドのホテルの部屋。4年前に行ったのですが、1泊5$だったと記憶しております。コーカンドは18~19世紀に栄えたイスラム都市で、街路が入り組んでいるので、旧ソ連時代のまっすぐな道路から少し外れると、どこに居るのかわからなくなります。
投稿者 hyodo in
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November 28, 2008
「本のあつまるところ|第一回 都築響一さん」を聴いて

11月20日(木) 19:00~川口メディアセブンにて、都築響一氏による講演があった。
備忘録としてメモをまとめる。
1.ボロ ―青森のノラ着コレクション―
貧困からくる機能美。
アートとクラフト・・・アートの方がむしろ形式にこだわっている。
クラフトには作為が少ない分、時に新しい発見がある。
2.刑務所良品 ―普通すぎる家具たち。究極の典型―
3.スナック ―ママのキャラだけが勝負の厳しい世界―
日本全国27万件の中で一番多い店名は「ライムライト」
長くやっている店は面白い。
4.テクノロジーの懐疑
- サミスダート(ソ連の地下出版)
コピー機の使用も当局に届けなければならない状況下では、タイプライターによるカーボン複写で5部作成が限度。
- ガリ版謄写技法
ガリ版春本の謄本をガリ版で忠実再現。1000部するのが限度。
- レディコミの見出し
DTPソフトなど使わなくても、コピー機を使った手動エフェクトで多彩なフォントを得る。
- トルマリンブレスの広告
明らかに胡散臭い内容なのに、細かい字で読みづらいのに、ついつい読んでしまう。
- チェコの写真家 Miroslav Tichy
元美大生のホームレスは、少女たちへの情熱のあまり、段ボールとメガネでカメラを作り、印画紙の端切れにプリントした。
- 台湾のお爺さんの女性ファッション誌スクラップブック
リタイア後は昔集めた女性ファッション誌の美しい女性たちをハサミで切り抜き、古雑誌に貼り付け。
- ボール紙のレコード
聴けないレコード、音楽は作者の心の中に。
- アマチュア写真家の写真集
自費出版写真集の中に埋もれた、とてつもないコンセプト写真集を探す。「おとめ汽行」など。
5.どりゃーおじさん ―飛び降りる崖を求めて―
究極の崖、東尋坊に20000回飛び込む男。朝日放送「探偵ナイトスクープ」を観賞。
まとめ――これらの人々に共通している要素――
- それに懸ける猛烈な情熱。
- 自分がアート作品を作っている、アート・パフォーマンスをしている、という認識の欠如。
感想
僕たちが普段思っているアートというのは、既存の美が形式化されたものである。美を意識しながら何かを作るということは、既存の美の枠組みにとらわれているということだ。芸術が人に感動をもたらすのはもちろんだが、芸術が芸術自体に揺さぶりをかけるとするならば、芸術は美に先行する。美は芸術が人々に認識されながら文化として定着していく過程で社会化された感情なのかもしれない。
また、この講演でMiroslav Tichyを知ったことは大きな収穫であった。
>グーグルイメージ検索の結果はこちら
この人は、ホームレスのような生活をしているのだが、少女たちの写真を撮りたいという尋常でない思いに駆られて、カメラをダンボールで自作した。自分の風貌の怪しさにより被写体に近づけないということもわかっていたので、老眼鏡などの眼鏡のレンズ(多分拾ったもの)をボール紙の筒に嵌め込んで望遠レンズや引き伸ばし機までも自作した。現代では信じられないようなローテクにより、古風で幻想的な作品が生まれた。作品は彼本人のためのものであったが、誰だかに見出され作品は高額で取引されているらしい。プリント(おそらくカメラ店で捨てられていたプリント紙の端切れ)は彼による額装(やはり拾った紙を切ったもの)がされており、展覧会では彼の額装された作品にマットをつけて更に額装して展示されいると同時に、ボール紙のカメラや彼の風貌も彼の作品と同等(それ以上かも)感銘を読んでいるらしい。
とりあえずポンピドーセンターでの展覧会のカタログが欲しくなった。
今日の写真
今週初めに益子に行ってきました。朝、益子の森の展望台からの風景です。富士山のような山は芳賀富士(標高271.7m)。益子の森の敷地内にある内藤廣設計のフォレスト益子(おススメです)に泊まり、陶器店を巡りながら荒物探しをしたのですが、結構面白い掘り出し物がありますね。おしゃれなカフェギャラリーも多く楽しめる町です。
投稿者 hyodo in
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