2009年3月の記事

2009年3月17日

Twitterを始めてひと月

伏見稲荷

昨夜、NHK BS1「きょうの世界」11時台で Twitter の特集があった。Twitter とは、ひとり言をつぶやく場所を提供し、それを世界に発信するウェブ・サービスである。番組によると、アメリカでは Twitter のつぶやきが重要度や影響力の高い情報となってきているということであった。

僕自身はTwitterをはじめてひと月ほどなのだが、僕の 3D 空間に住まう (このような表現をするのは、もはや「現実」や「リアル」という言葉の意味が変化し始めているなぁと最近実感するからである) 友人知人からこのサービスを教えてもらったのではなく、ネットでその存在を知った。このウェブ・サービスでできることは、

  1. 1投稿当たり140字以内のテキストをポストすること
    (タイトルをつけなくてよいところが良い)
  2. そのテキストを自分と自分のフォロワーの画面にリアルタイムに表示すること
  3. 自分をフォローしている人の「つぶやき」を自分の画面にリアルタイムに表示すること

基本的に以上の3点だけである。ダイレクト・メッセージという機能もあるが、僕が思うに重要な機能ではない。ウェブ・サービスとしては3年ほど前からあるらしく、また似たような他のサービスも存在し、「ミニブログ」というカテゴリーに属するようだ。mixi でも「エコー」という表面上似ているサービスがある。

どうしてこんなサービスがあるのかよくわからない、というのが僕の最初の印象だった。なぜなら、何の役に立つのか?はっきりしないし、他人が聞いてくれているかどうかわからないから消極的なコミュニケーションしかとれなさそうだし・・・。まぁ、やっているうちにわかるだろう。このわからなさが Twitter の魅力のように思えるし、日本で一般的に知られるまでに3年もかかった理由だろう。

先に述べた自分のフォロワーや自分をフォローしてくれる人を探すには、ウェブ・メーラの連絡先を利用する方法がある。Gmail や Hotmail のユーザなら、Twitter から連絡先を読み込み、Twitterを利用している友人・知人を探せる。僕は、Gmail ユーザだが、連絡先に登録してある200人中 Twitter ユーザはわずか3人だった。200人のうち、半数は mixi に登録していると考えられるので、これは極めて少ない。ちなみにmixi の「エコー」もほとんど使われていないようだ。そんな感じなので、日本では全然流行っていない Twitter だが、そのうちブレイクするのではと思っている。

それでも注目されている理由だが、次のことにあると思う。

  1. 少し愚痴をこぼしたい、ちょっと自慢したい、多少とも共感したい、というささやかで自分でもすぐ忘れてしまうような感情を受け入れてくれる場所を提供するウエブ・サービスは今までなかった。
  2. 電話やメール、チャットのように、一対一のコミュニケーションではないので、「つぶやき」を言いっ放しにしておいても、他人の「つぶやき」に共感しても放置プレーしてもよい。それが前提として認められていので、自由に振る舞える。mixi のように足あと付けて廻ったり、ブログのようにコメントして回るような気づかいは(いまのところ)必要ない。
  3. Twitter上のフォロワーたちの情報はリアルタイムの口コミ情報であり、ある程度の信頼性がある。google 検索などの検索エンジンで得られる情報は、検索ロボットの巡回によって集めれれているので、ニュースのようなリアルタイム情報は検索に引っ掛からない。また、ネット上の膨大な情報から必要な情報が得られるにしても、ユーザのリテラシーがあるほど、その真偽を判断するのに疲れてしまっているのではないか。

他にも情報をカテゴリーに分けるという概念が、希薄で働きにくいことや、自分に身近な情報をやり取りしていたつもりが、スモール・ワールド現象的にずいぶん遠くまで届く、ということなどもあるだろう。

なんだか Twitter 的ではない方法で Twitter を語ってしまいましたが、新しいタイプのウェブ・サービスであることは確かだと思います。ブログにもTwitterのウィジェットを貼り付けてみました。ちなみに僕のTwitterのアドレスを下記にお知らせします。
http://twitter.com/buryoshaki

今日の写真
今月初めに、京都へ行ってきました。写真は10年振りに訪れた伏見稲荷の鳥居です。 Twitterのタイムラインをイメージしてみました。


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2009年3月5日

無印良品の家 『朝の家』 に思うこと

綱島家
昨日、無印良品の家のメルマガからサイトのほうを見ると『朝の家』という新しいラインナップが目に入ってきた。この一般的な建売住宅とたいして変わらない『朝の家』を見ていろいろと考えることがあった。「無印もここまで来たか」というのが僕の正直な感想だ。

一昨日、無印から「家と家の場所についてのミニアンケート」というメールが来ていたので回答した。アンケートの主な内容は、「戸建てとマンションのどちらに住みたいか?都市と郊外のどちらに住みたいか?」というものだったのだが、その設問がやたらポジティブというか、売る側に都合のよい文脈で都市や郊外を捉えている内容だったので、ちょっとウンザリしていた(これまで下着や収納等に関するアンケートに協力したことがあるのだが、それは新しいコンセプトで様々な消費者のニーズにも答えるような商品を開発したいという意気込みが感じらる内容だった)。なぜなら無印は都市と郊外を次のように定義していたからだ。

都市:住むと交通の便もよく、通勤だけでなく外食したり買い物に行くのも便利です。(各設問では、商業施設や病院、学校などの施設が多い娯楽施設など遊ぶ場所が多いなど)

郊外:通勤には多少時間がかかっても、緑豊かな自然の中で過ごすことができます。(各設問では、空気もきれいで、緑が多く、自然が豊か、緑や水辺など自然環境がよい、郊外の方が安心して子育てができる、ペットなども飼いやすい、静かでゆったりとした環境に住め、騒音や日当たり、近隣問題に比較的悩まされにくい)

都市を肯定的にとらえ、多くの問題に目をつむればそのような認識になるかもしれないが、無印が考える郊外はいったいどこを想定し、どんな幻想を抱けばそんな認識になるのだろうか?19世紀末のロンドン(ハワードの田園都市)の時代ではあるまいし。アンケートなんだから、消費者の都市や郊外に対するイメージのリサーチもすればいいのに、そんな安っぽいことを前提にして無印のイメージ・ダウンになるよ、と言ってあげたかった。

もし無印良品の家で宅地開発をすれば、MUJI的なフィクショナルな街が出現し、そこに住む人たちのライフスタイルが、他の大手開発と比べても圧倒的にMUJIに近似して表象するだろう。そういった意味では無印の家の開発地域は、国道沿いのジャスコやファミレス、TSUTAYAやケータイ・ショップなどが林立するハードな現実と向き合った郊外ではなく、MIJI的幻想を再生産し続けることができるように、「緑が多く、自然が豊か」な書き割りで現実を隠したシミュラークル的郊外でなくてはならない。しかし、そういったことをふまえて都市や郊外を論じていないことに問題があるのである。単に僕がそれを読み取れなかったのなら、それでいいのだが・・・。

そんなわけで現実の社会を見つめる者としては、MUJIの都市・郊外の認識に関しては甚だ疑問抱かざるを得なかったが、『朝の家』のアーキテクチャは、『木の家』、『窓の家』と比較してポストモダン社会と妥協しながら生活していく様式が整えられている、とも言える。商品化住宅として、戦略的に良く考えられているのである。

ところで、『木の家』と『窓の家』はMUJIのファン層の厚みの割に売れなかったのだろうか。『木の家』は、大変優れた設計思想とハードウェアを持つ『箱の家』をベースにしている住宅だが、設計者の意図とは離れて、家族の理念モデルがいわゆる家父長的家族が想定されているように見えることがあり得るため、ポストモダン的な荒々しい郊外に住む個人化したMUJIファンには敬遠されたのだろうか。もう一方の『窓の家』は、そのコンセプトに精神的な豊かさを求めることを本気で取り組んだため、MUJIファンの現実的な興味から離れていってしまったのかもしれない。また『木の家』と『窓の家』は結局のところ、オルタナティヴな居住施設の提案であり、政治的・消費的な住宅政策・宅地開発からは距離を置き、国家を支える「家族」という生活単位に不信を抱いているようにみえる。また、『木の家』と『窓の家』の設計者を少しでも知る者ならば、「家族」という問題に対して近代的核家族のイメージを批判することはあっても、ベタな家族像をあえてでも肯定することはないであろうことは容易に想像できる。その証拠に『木の家』と『窓の家』のウェブページには「家族」という言葉は使われていない。

その点『朝の家』は、現代では多義・多様化してしまった「家族」をリビングアクセス型プランよって、近代的核家族のイメージに引き戻す戦略を採った。また、若い核家族向けであることを強調することによって高齢者・介護問題を免れながら、2階に個室群を配して家族の流動性・個人主義には対応する、というポストモダン社会の「家族」に適応したアーキテクチャであろうとしている。先に僕が批判した無印の都市・郊外の認識が見当違いだったり単なる戦略であったとしても、消費者は、無印の良き都市・郊外のようなイメージを欲しているである。なぜなら核家族像をあえて虚構することによって「普通の家族」を装うことができ、高齢者問題に目を背け (これはもっと大きな問題なので言いすぎだと思いますが)、古典的な概念では普通ではない多様な人の集まり――「現実の家族」――も収容できる、というようなスペックをポジティブに飾り立ててくれるからである。これなら安心して長く暮らせそうだ。既に、郊外型宅地開発向けにMUJIファンだけでなく広く受け入れられそうなMUJI的シミュラークル・シティ (ユーカリが丘。2戸だけなのでMUJI的共同幻想は成り立たないだろうが) が販売されている。・・・・・たぶん売れるだろう。

さて、いろいろ好き勝手書きましたが、軒樋の納まりなんかはキレイですし、一階のサッシとバルコニーの関係も良くできていると思います。

今日の写真
江戸東京たてもの園にある綱島家です。こうやってあらためて見ると茅葺の古民家ってモダンで本当に美しいですよね。

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2009年3月4日

MTOS 4.24 へセキュリティアップデート

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セキュリティアップデート Movable Type 4.24 の提供が開始されました。Six Apart のアナウンスでは「特殊な操作を行うと、サインインしていないユーザーが特定のユーザーのプロフィール編集画面にアクセスできてしまう」となっています。文字通りなら、僕の場合、自分のサーバに他人のブログや他のユーザを登録していないので、問題なさそうなのですが、「サインインしていないユーザ」の範囲が僕の思っている以上に広いと問題なので、MTOS 4.24へアップデートしました。いつもアップグレードの手順を忘れてしまうので、備忘録を残します。

  1. MySQLのダンプ
    xreaの監理メニューから保存したいデータベースにチェックを入れて保存ボタンを押す。ダンプファイルは /virtual/user_name/ に作成される。
  2. ダッシュボードからブログのバックアップ
    ツールメニューからバックアップを選び、圧縮フォーマットzipをチェックしてバックアップを作成。ローカルへDLできる。圧縮しないとサーバルートのtmpディレクトリにバックアップファイルが作成されるので、注意(利用者の名前も他人から見られてしまう)。
  3. mt-config.cgiのバックアップ
  4. mtos 4.23 を mtos 4.24 へ上書き
  5. サインイン>データベースのアップグレードが始まる

以上で終了です。

今日の写真
今回も川口メディアセブンのイベント「55km2」で撮影した写真。峯八幡宮の東側の崖のある未舗装の道から市内を眺めた景色です。かなり高圧線が目立ちます。

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2009年3月1日

スターリン・スタイル高層ビル

2004年夏、ロシア建築案内(TOTO出版)片手にモスクワ、サンクト・ペテルブルグへ行ってきました。その時の写真は帰国後スライドショーを一度やったきりで、まとめていなかったので、いまあらためてまとめていきたいと思っています。まずは衝撃を受けた建築からご紹介します。

ロシア連邦外務省
ロシア連邦外務省。ロシア建築案内によると「・・・建物頂上の尖塔は当初の設計にはなかったが、建築現場の視察に来たスターリンが『ふむ、それで尖塔はどこにあるのかね?』と質問した直後から記録的な速さで尖塔が図面に書き加えれれた、という有名なエピソードが残っている。」とあります。外務省脇のアルバート通りをちょっと歩いて裏に入ったところに、メーリニコフ邸があります。

ウクライナホテル
ウクライナホテル外観。外務省はたぶん入れないと思いますが(そういえば入ろうとさえしませんでした。警備が近寄るなオーラを発していたからだと思います)、こちらは中に入れます。

ウクライナホテルロビー
ホテルなので中に入れました。写真ではそれなりに豪華に見えますが、リフォームしているのか、内装にお金が掛けられなかったのか、チープな印象でした。しかしスターリン・アンピール様式は、インテリアは重要ではなくファサードが重要で、非常にモニュメンタルな建築なので、外から鑑賞するのがやっぱりいいですね。

クードゥリンスカヤ広場の高層アパート
クードゥリンスカヤ広場の高層アパート。コニュシュコーフスカヤ通りから見たところ。まるで「お城」です。

クードゥリンスカヤ広場の高層アパート
モスクワを歩いてみると感じるのは、道路、街の区画、建物すべてがヨーロッパのスケールの2倍くらいあるので、カフカの「城」のように近そうに見えてもなかなか辿り着きません。で、実際近くまで行ってこのクードゥリンスカヤ広場の高層アパートを見上げてみると、今度は近すぎて尖塔は見えないんですよ。スターリン・スタイル高層ビルを美しく撮影したい人は、事前に撮影ポイントの当りをつけた方がいいと思います。望遠レンズもあったほうがいいですよ。もちろん超広角も必須です。

コテーリニチェスカヤ河岸通りの高層アパート
ボリショイ・モスクヴァレーツキ橋から見たコテーリニチェスカヤ河岸通りの高層アパート。遠方からの撮影(これは友人の撮影)なのでちょっと霞んでいます。地図で見ると800mは離れているのですが、35mmレンズで撮影してこの大きさです。近くまでは行かなかったのですが、このアパートの1階には「イリュージョン」という映画館があるそうです。幻想というか虚構性を感じるのは旅行者である私たちだけではないようです。左端で切れているのは今は亡きヨーロッパ最大だったホテル・ロシアです。

モスクワ大学
モスクワ大学、と言われなければ、大学とは思えないような建物です。

モスクワ大学
ちょっと近づくと、もう画面に収まりません。

モスクワ大学
24mmで撮影しているんだけど・・・全然画面に入り切らないし・・・キャンパスを歩くのに疲れました。

すばらしい専門サイトを発見しました。ご興味のある方は必見です。
ロシア・スターリン様式建築の部屋

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