『雑記』 の記事

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2004年12月10日

手紙

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先日、久々に手紙を頂いた。手紙とは郵政省メールのことである。とても珍しい。最近はE-mailばかりで、海外に行っている友人からだってエアメールが来ることはあまりない。私が今夏訪れた中央アジアの田舎町だってインターネットカフェがあるのでE-mailで済ませてしまえる。仕事の途中で、もう一度その手紙を読む。字が非常に上手い人だなあと感心して引き出しにしまおうとすると、引き出しが引っかかってしまう。まいったなと思いながら手紙がしわくちゃにならないように引っ掛かった手紙を取り除く。そして目に付いたいくつかの封筒を取り上げて中の手紙を読んでみる。

1通目—A4用紙5枚に文字がびっしり、スペインよりI夫妻から

「・・・hyodo君が来たあと、年末年始は超ーつまらなかった。1月6日までTVで “Merry X’mas!” とか言っているし、サッカーもお休みだから、くだらないお笑い番組(私たちには理解できない・・面白くない)しかやってなくて・・・」(この部分I夫人)

2通目—A4用紙2枚にワープロで文章&写真、写真家Yさんから

「・・・ところでダマスカスのホテルで鳥鍋して喰ったんですか?やっぱり同じようなことをするんやなぁ。と、言うのはね、じつは僕もしたんです。・・・」

ここでI氏よりTEL有り。薪ストーブ設置の相談のあとで、「5年前の年末は超つまらなかったらしいね」「え?ああ、あの時ね!そうそう、めっちゃ退屈だった・・・」と一瞬盛り上がる気配を見せるが、お互い忙しいので、なつかし話にはならずに電話を切る。

3通目—A5用紙2枚小さい字、Kから

「今日という日が年の暮れだと思うとなんだかまた熱いものがこみ上げてくる。そして家に帰ったすぐ、すぐに君からの電話、いいタイミングじゃないか、私たち!」

みんな20世紀の手紙。どれも思いやりにあふれていて胸が・・・。
すごい、これだけでなんだか小説になりそうだ、と思っているともう昼。例の手紙もしまって、居間へ行く。

食事をしながら昨日BSで放映されたジュリエット・ビノッシュの録画を観る。「学んだのは?」という質問に対して「何もしないこと」とビノッシュ。荘子的な回答に感動する。

なんだか自宅の上空が急に騒がしくなり、テレビを見ていられない。ヘリが5機も低空でぐるぐる周回している(1億4000万強盗事件があったことを7時のニュースで知る。ウチはその現場まで歩いて5分なのでした)。双眼鏡でヘリを観察中に Eよりメール着信。「ブログにコメントできなくなった。なぜ?」「昼なのにメンテナンス中みたい」と返信。

静かになってきたので、またビノッシュのことばに耳を傾ける。「必要な感情はいつもそこにある」「必要なのは開放すること」

階の仕事場へ戻り、手紙のことを考える。先日のパーティーで頂いた北欧ジャズのCDを掛ける。そして計画資料を広げて机に向かう。

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2004年12月9日

今年読んでたコラム

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ウチは朝日新聞なので、その中からお気に入りのコラムと、印象に残った記事をご紹介します。

柳沢桂子「宇宙の底で」
人間の遺伝子には仲間殺しのDNAが組み込まれている、ということを前提に生命倫理の問題を提起していて、「かくれた次元」を読んだときのような刺激を受けました。

梅原猛「反時代的密語」
10月ごろのコラムで、キリスト教やイスラム教のような排他的な宗教では、今後の世界がやっていけなくなる。仏教のような緩やかな宗教が良い、というようなことを書いていて、この人殺されたりしないか、本気で心配しました。

藤巻兄弟「フジマキに聞け」
このおふたりテキトーなこと言っているようですが、これでいいんだと安心をもらえます。こんな漠然とした印象だけで、内容を全然覚えていません。でもお気に入り。

島田雅彦「快楽急行」
傑作中の傑作と言えるコラムがあったのですが、それを忘れてしまいました。その他商店街をカップ酒片手に巡ってフルコースする話は面白かった。真似したい(今年だったかな?)

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2004年12月3日

本日・・・

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今日は、個人的に思っていることを簡単に綴ることにします。読者の方は、文を無視して写真だけ観てください。
どうも仕事が手に付かない。ブログに熱中しすぎだ。何とかしなければ。
なんだか、いろいろなところで誤解を受けているような気がする。
今日は微妙な闇のようなものを見つけてしまった。しばらくは誰にも言えない。
うーん、困った困った、もう寝よ。

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2004年11月18日

オレの勝負服!!

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私はひとり寂しく建築設計の仕事を自宅でしている。その場合の仕事着(と言っていいのかどうかはわからないが)は、襟付きのシャツにアウトドア系のパンツである。シャツは極めて普通であるので、ここではあまり取り上げないことにする。問題はパンツである。なぜアウトドア系かというと、大抵、腰紐やベルトが一体となっておりベルトを通す必要がなく、椅子の上で片足だけ正座したりあぐらかいたりするのに、動きやすいからである。ただし見栄えはあまり良くない。そのパンツの中にグレーのクライミングパンツがある。素材が合成繊維なので、軽く洗濯してもすぐに乾く。私は結構気に入っている。

独立する前に勤めていた設計事務所に行くときもそのクライミングパンツを穿いて通勤することがあった。その日、私はグレーのMUJIのシャツとそのパンツで、上下ともにグレーという出立ちだった。私より若い女性スタッフ2人にその服装について指摘を受けた。

「hyodoさん、その服装相当ヤバイです」
「え?そう?どうせ一日中事務所だからいいじゃん」
「でも、出会いがあったらどうするんですか?」
「絶対にない」
「出会いはなかったとしても、知り合いの女性に会うかもしれませんよ」
「それもない。今日もひとりも会わなかった」
「どうやら私たちは女性じゃないみたいね・・・」
私は形勢の不利を感じ、その場を取り繕おうとした。
「これがオレの勝負服なの!」

ことばを発したとたん、更に落ちていくのを感じたが、もう手遅れだった。「勝負服!」「勝負服!!」それ以降そのパンツを穿くたびに馬鹿にされるようになった。

独立後すぐにヘアサロンの店舗設計をする機会があった。工事が無事終わり、開業前の準備を手伝いに行った。私は軽トラックでプラチナ通りのその店に乗りつけ、荷物の上げ下ろしをした。店内にはWさん夫婦のほかに女性スタッフが2人いた。みんな小奇麗な実にヘアスタイリストらしい服装で、シャンプーやカラー材などの色鮮やかなパッケージを運んだり、並べたりで忙しそうだった。荷物の搬入が終わり、W氏は私をスタッフに紹介した。

「えーと、この人がこの店のデザインをしてくれたhyodoさん」
「えっ?(運送業者か引越し業者かと思ってた)」
と聞こえた。彼女たちはそれまで、私に荷物を置く場所を指示していたので、少しバツが悪そうだった。ようやく同じ立場の人間として扱ってもらえた。その日も私はグレーのMUJIのシャツと例のパンツという格好だった。

サリンジャーの「ゾーイー」という小説の中で、ゾーイーの母親ベシーが着ているキモノの家庭着の描写がある。キモノなのに特大ポケットが付いていて、更にその中には煙草、金槌、ナイフ、蝶番などがはいっており、とにかく見苦しい。それを何とか捨てさせようと、娘たちが画策したりもしたが、未だにそれは実行に至っていない、という場面のことである。

先日、この小説を読んで、大いに共感するところがあった。私はベシーとそのキモノを応援し、未来永劫を祈った。しかし、もう少し服装に気をつけたほうがいいかもしれないと初めて思った。

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2004年11月13日

アラファト議長死去後

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昨日のシフォンの続きをアップしようと思ったが、重大なニュースが入ってきた。急遽アラファト議長を取り上げることにする。これまではシフォンだのフレンチだの中国茶だのについて近ごろ少々サブカル的な軟弱なことをさも知っているかのように語っていたかも知れないが、実は専門はアラブ及びイスラム世界なのである。(本当は建築です)

私は、これまでに中東6カ国、中央アジア2カ国のイスラム国家を歴訪し、「旅行人」という旅行雑誌の読者サークルの関係組織ではアラブ同盟を締結している。今年は世界最北にあるサンクト・ペテルブルグのモスクを訪れた。サマルカンドでは、非情なまでの暑さ中、私はアラーに敬意を表し長ズボンをはいてモスクを訪問していたのに対して、イスラム教徒の現地ガイドオリム君は半ズボンで私を案内した。売り子達はオリム君を観光客と勘違いをし、土産物を売りつけにたかっていたが、私にはそんなことはなかった。8年程前にフジテレビがイスラム教に対する不敬報道をしたことがあり、その謝罪のための番組が製作されたことがある。そのときフジテレビは勤務先にまで押しかけ、私は同僚のイスラム教徒に対するコメントを求められたことまである。更に教育テレビのアラビア語会話を毎週視聴していて、師岡カリーマ・エルサムニーの大ファンである。(彼女に関しては後日あらためて書くことにする)

私の低レベルなアラブ自慢はさておき、アラファト議長の死去により、パレスチナだけでなくアラブ全体はどのように変化していくだろうか?ここ2日間の朝日新聞の記事を読んでいただけでは、私見をまとめることが難しいことがわかった。特に11月13日付朝日朝刊オピニオン欄の中東地域研究者の池内恵氏の論評を読んでそう感じた、というかアラブ世界に救いはないように思ったのである。ここまで書いて行き詰った。ただただ彼らの幸福を祈るしかないのかな?

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