『本』 の記事

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2010年1月27日

Amazonで地元の図書館の蔵書を表示する

アマゾン検索「建築 入門」

Amazon で書籍を調べていて、買う前にちょっと中身を見たいけど「なか見!検索」ができないときや、そもそも買う気はないけど「ちょっと読みたいな」というときに、地元の公共図書館の蔵書をネットで検索することなんてありませんか?

本記事で紹介するツールは、Amazon のサイトに図書館に蔵書の有無を表示し、リンクをクリックすると図書館の資料予約サイトを開いてくれます。しかも、商品個別ページだけではなく、上のスクリーンショットのように、Amazon の検索結果リストにも蔵書の有無が表示されます!

残念ながら、「トップセラー」や「欲しいものリスト」にまでは蔵書の有無は表示されません(笑)。

このツールは、Libron という名前で、Firefox のアドオン Greasemonkey のユーザースクリプトです。Greasemonkey はセキュリティ面で注意が必要だと言われているようですが、いろいろと便利です。

対応している公共図書館 (ちなみに筆者は川口市立図書館を利用しています) は、都市圏と一部のエリアに限られますが、isbn データを取り出せる検索システムのある図書館であれば、地域モジュールに追加できるようです。地域モジュールは複数の協力者によってコーディングされているようです。isbn が登録されていない雑誌などの蔵書は表示されません。

使用方法

  1. ブラウザは Firefox を使用する。
  2. アドオン Greasemonkey をインストールする。
  3. Libron をインストールする。
  4. Amazon のサイトを開き、右上の「変更」ボタンをクリックして、蔵書を調べたい図書館を選択する。

素晴らしいです!!!

追記 Libron が大規模プロジェクトに!
先日(2010.10.16)、Libron のサイトを見ると、なんと Firefox アドオンになっている上に、対応図書館が全国 5000館 + 大学図書館にまで広がっていました!更に Chrome 版も発表されています。

最近、図書館のサーバーダウンや、個人情報流出などの事件が話題になりましたが、これらの原因は図書館側(M社のシステム)にあった上に、報道機関の知識のレベルの低さを露呈させることになりました。こういう方々こそ、Libron を使って勉強して欲しいものです。(Libron はこれらの事件とは関係ないです。念のため)

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2009年10月15日

pen 11月1日号に「牛堀の古民家・土蔵リノベーション」が掲載されています

牛堀の古民家リノベーション立面
本日発売の pen 11月1日号 (阪急コミュニケーションズ) の特集「リノベーションで、理想の家づくり」にて当ブログ管理人 hyodo が主宰する兵藤善紀建築設計事務所が設計・監理を行った「牛堀の古民家リノベーション」、「牛堀の土蔵リノベーション」が掲載されています。掲載ページは 54~55p です。書店にお立ち寄りの際には是非ご覧くださいませ。

また兵藤事務所のウェブにはリノベーションの過程をご紹介しておりますので、こちらもご覧ください。どうぞよろしくお願いいたします。
» 兵藤善紀建築設計事務所

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2008年11月28日

「本のあつまるところ|第一回 都築響一さん」を聴いて

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11月20日(木) 19:00~川口メディアセブンにて、都築響一氏による講演があった。
備忘録としてメモをまとめる。

1.ボロ ―青森のノラ着コレクション―
 貧困からくる機能美。
 アートとクラフト・・・アートの方がむしろ形式にこだわっている。
 クラフトには作為が少ない分、時に新しい発見がある。

2.刑務所良品 ―普通すぎる家具たち。究極の典型―

3.スナック ―ママのキャラだけが勝負の厳しい世界―
 日本全国27万件の中で一番多い店名は「ライムライト」
 長くやっている店は面白い。

4.テクノロジーに対する懐疑

  1. サミスダート(ソ連の地下出版)
    コピー機の使用も当局に届けなければならない状況下では、タイプライターによるカーボン複写で5部作成が限度。
  2. ガリ版謄写技法
    ガリ版春本の謄本をガリ版で忠実再現。1000部するのが限度。
  3. レディコミの見出し
    DTPソフトなど使わなくても、コピー機を使った手動エフェクトで多彩なフォントを得る。
  4. トルマリンブレスの広告
    明らかに胡散臭い内容なのに、細かい字で読みづらいのに、ついつい読んでしまう。
  5. チェコの写真家 Miroslav Tichy
    元美大生のホームレスは、少女たちへの情熱のあまり、段ボールとメガネでカメラを作り、印画紙の端切れにプリントした。
  6. 台湾のお爺さんの女性ファッション誌スクラップブック
    リタイア後は昔集めた女性ファッション誌の美しい女性たちをハサミで切り抜き、古雑誌に貼り付け。
  7. ボール紙のレコード
    聴けないレコード、音楽は作者の心の中に。
  8. アマチュア写真家の写真集
    自費出版写真集の中に埋もれた、とてつもないコンセプト写真集を探す。「おとめ汽行」など。

5.どりゃーおじさん ―飛び降りる崖を求めて―
 究極の崖、東尋坊に20000回飛び込む男。朝日放送「探偵ナイトスクープ」を観賞。

まとめ――これらの人々に共通している要素――

  1. それに懸ける猛烈な情熱。
  2. 自分がアート作品を作っている、アート・パフォーマンスをしている、という認識の欠如。

感想
僕たちが普段思っているアートというのは、既存の美が形式化されたものである。美を意識しながら何かを作るということは、既存の美の枠組みにとらわれているということだ。芸術が人に感動をもたらすのはもちろんだが、芸術が芸術自体に揺さぶりをかけるとするならば、芸術は美に先行する。美は芸術が人々に認識されながら文化として定着していく過程で社会化された感情なのかもしれない。

また、この講演でMiroslav Tichyを知ったことは大きな収穫であった。
>グーグルイメージ検索の結果はこちら

この人は、ホームレスのような生活をしているのだが、少女たちの写真を撮りたいという尋常でない思いに駆られて、カメラをダンボールで自作した。自分の風貌の怪しさにより被写体に近づけないということもわかっていたので、老眼鏡などの眼鏡のレンズ(多分拾ったもの)をボール紙の筒に嵌め込んで望遠レンズや引き伸ばし機までも自作した。現代では信じられないようなローテクにより、古風で幻想的な作品が生まれた。作品は彼本人のためのものであったが、誰だかに見出され作品は高額で取引されているらしい。プリント(おそらくカメラ店で捨てられていたプリント紙の端切れ)は彼による額装(やはり拾った紙を切ったもの)がされており、展覧会では彼の額装された作品にマットをつけて更に額装して展示されいると同時に、ボール紙のカメラや彼の風貌も彼の作品と同等(それ以上かも)感銘を読んでいるらしい。

とりあえずポンピドーセンターでの展覧会のカタログが欲しくなった。

今日の写真
今週初めに益子に行ってきました。朝、益子の森の展望台からの風景です。富士山のような山は芳賀富士(標高271.7m)。益子の森の敷地内にある内藤廣設計のフォレスト益子(おススメです)に泊まり、陶器店を巡りながら荒物探しをしたのですが、結構面白い掘り出し物がありますね。おしゃれなカフェギャラリーも多く楽しめる町です。

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2005年10月31日

「そうです、ナタリー」 谷間の百合 -その4-

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さてさて、今回は「谷間の百合」第3章に登場するアラベル・ダドレー夫人について、少々申し上げてみたい。まずは簡単な状況説明から。

アラベルは英国の貴婦人で、地位も高く、パリの社交界で権勢をふるっている。金持ちで、超美人で、才気も体力もあるものだから、手に入らないものなんて何も無い。全てが思いのままである。世の中はアラベルを中心に廻っているのである。ある日アラベルは、フェリックスとアンリエットの純愛物語を小耳に挟み、興味を持つ。彼女の性格からすれば、あちらこちらのサロンで見かけるフェリックスの恋物語に興味を持つのは、ごく自然なことであった。彼女の才気を発揮し、虚栄心を満たしてくれる舞台が用意されたのだから・・・・・・

「あのキジバト同士の溜息には、私、もううんざりしておりますの」
(第3章 新潮文庫版 297p)

「キジバト同士」というのはフェリックスとアンリエットのこと、「溜息」というのはふたりの騎士道的で、プラトニックな恋を差すわけだが、それはアラベルが持ち得なかったものなのである。アラベルはアンリエットに嫉妬したというよりも、ふたりの純愛関係に嫉妬し、アンリエットとの仲を引き裂き、フェリックスを落とすことに自分の名誉をかける。同時に自分の貞操を捨てることで慣習に逆らって、世間をあっと言わせることができることが、彼女の情熱を更に掻き立てるのであった。

女性諸姉!アラベルの次の台詞に注目!気の弱い青年はイチコロでしょう(笑)

「いつまでもあなたのお友だちでいて、お好きなときだけ、恋人にしていただきますわ」
(第3章 新潮文庫版 298p)

まあ、こんな感じでフェリックスは自分の召使まで丸め込まれ、ついにアラベルに攻略されてしまう。それがバレてアンリエットの信用を失うが、恋愛について客観的に考察出来るようになる。

「愛人の満たしてくれる恋には、おのずからその限度があります」
(第3章 新潮文庫版 303p)

「身体を許しあわぬ恋は、かえって欲望を激しくかきたてるがために持続するのです」
(第3章 新潮文庫版 325p)

更に、ニキータ編集部が喜びそうなことも言っています。男性諸君は要注意!

「この世には、自分たちが抱く嫉妬心を、天使のごとき優しさのかげに、たくみにかくしおおすことのできる女性もいます。それはみなダドレー夫人のようにすでに三十をこえた女性たちです」
(第3章 新潮文庫版 303p)

アラベルは自分の才気を発揮する舞台が無いと生きていけないような、非常に虚栄心と自己愛の強い女である。フェリックスに身を捧げるのも、見かけ上はアンリエットよりも多くを犠牲にしているように演出するためなのである。アラベルに共感できないのは、金持ちで超美人で頭が良くて運動神経も抜群ということでも、男女間の道徳に反することをしていることでも無い。虚栄心を満たすために男を落とすということでも、恋愛をゲームとして捉えていることでも無い。何かしら人間性を貶められているような気がするのである、アラベルに・・・・・いつかじっくりと考えてみたいと思います。このシリーズは今回で終わりです。

最後に「谷間の百合」読んで思い出した言葉を引用しておきます。

「恋愛は幾らかの未来を要求する」 (”ペスト” カミュ)
「人間は正しい人の堕落と恥辱を好む」 (”カラマーゾフの兄弟” ドストエフスキー)

関連記事
「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その1
「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その2
「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その3


今日の写真 ~カラフル その8~
亀戸のサンストリートです。最近はやりの大型ショッピングモールなのですが、空間的に様々な工夫が見られます。吸い込まれるようなアプローチや路地的な要素などなど、意外に面白いところですよ。

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2005年10月27日

「そうです、ナタリー」 谷間の百合 -その3ー

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谷間の百合」を読んだときに最初に思う疑問は、
「人妻だからって自分の貞操を守り続けながら若い男に永遠の愛を誓わすことができるだろうか?」
「プラトニックな関係を強要したのはアンリエットなのに、フェリックスがアラベルの誘惑に負けて浮気をしたからって、それを責めて、ハンガーストライキを起こして死んだりするだろうか?」
ということであろう。まあ、どうやらこれは女の論理のようである。男には大変わかり辛い。

しかし、次の論理は女性にわかり辛いかもしれない。男が浮気をしてしまうのは、社会的要請である、むしろマナーなのだとフェリックスは言っている。男性諸君!次の台詞を丸暗記し、来るべき修羅の日に備えておくべし(笑)

「あなたがた女性が男の追求をのがれようとする場合にくらべると、われわれ男が女性の誘惑をしりぞけようとする場合の方が、許された手だてがずっと少ないという事実です」

「世の風習から、私たち男には女性の誘いをむげにはねつけることが禁じられています」
(第3章 新潮文庫版 297p)

事実とか風習とかいう言葉を使うことにより、浮気はプライベートな現象ではなく社会・文化現象であると言って、大局的な問題にすり替え罪を薄めているのでしょうか?

また、生物学的性質であるとも言っています。これも男性諸君はそらんじておきましょう。

「自然の力をごまかしつづけるわけにはいきません」
(第3章 新潮文庫版 326p)

その1でも取り上げましたが、

「ただ砂漠のなかでのどが乾いただけなのです」
(第3章 新潮文庫版 326p)

自分の浮気の原因は、ホモ・サピエンスという種のDNAに組み込まれた性質や仕組みであって、個人の意識で制御できるようなものではない。だから、しょうがないよね、と言うのである。フェリックス君は大変賢い。スゴイ理論を考え出してくれました。まあ、女性には通じない理論かもしれませんが・・・・むしろ女性を怒らせるだけのような気もします(笑)

次回こそ、ダドレー夫人の性格を分析してみたいと思います。

関連記事
「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その1
「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その2
「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その4


今日の写真 ~カラフル その8~
京都駅のおみやげ売り場で見かけたアメ玉?です。月初めに京都へ行ってきたのです。当初は東山に宿を取り、周辺散策のみをするつもりでしたが、御苑の宮内庁事務所に行ったところ、桂・修学院離宮の見学に空きがあり、参観!ラッキーでした。

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2005年10月12日

「そうです、ナタリー」 谷間の百合 -その2-

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谷間の百合」・・・・・なんとなく田舎臭い、牧歌的な印象すら与えるこの小説の題名には、洗練の極みを身につけた著者バルザックがフッと半生を顧みているような、郷愁を感じさせる。意図的にシャープさを欠いた謙譲表現かもしれない。邦題がそのように思わせるのだろうか・・・・・・

さて、前回の記事では、主人公フェリックスが私達(男性)の気持ちを代弁してくれている箇所を抜き出してみた。今回は彼が愛した「谷間の百合」アンリエット(モルソフ夫人)とはどんな女性なのかを考察してみたい。まず私がこの小説を読み始めたときのアンリエットに対する率直な(子どもモードの)感想。

『身体どころかキスさえ許さずに男を留めるとは、冷淡な女だ』

ところが読み進めるうちにアンリエットはフェリックスの求愛を拒んでいるのではなく、むしろ受け入れ、自分の気持ちを押しとどめていることがわかってくる。なぜ押しとどめているのか?トルストイの「アンナ・カレーニナ」の主人公アンナを取り上げながら比較・考察を試みよう。アンリエットもアンナも美しい人妻で、夫を愛しておらず、若い男に求愛されるという3点が共通項である。

アンナは非公式に夫と別れ、ウローンスキイと一緒に夫婦のように生活した。
結果>>ふたりとも世間からはじき出されてしまう。ウローンスキイは出世の道をたたれる。ふたりの間に生まれた子供も夫に取られてしまう。将来に希望を持てなくなったアンナは自殺する。

アンリエットはフェリックスと彼女の夫も認める公式な友人関係にあった。
結果>>いつでも会(逢)える関係。そしてアンリエットの口添えで、フェリックスは社交界で出世の糸口を掴んでいく。しかしフェリックスはアンリエットを裏切り、彼女とは正反対の性格のダドレー夫人と関係を結ぶ。アンリエットはショックで病気になり死ぬ。

公式非公式。たとえ同じ行動をとったとしても両者は大きく異なる。この社会的意味と差異をようやく私が認識したのは数年前だ。それに気が付いてやっと、トルストイがなぜ美人で性格も頭も良いアンナを自殺に追いつめて描いたのかがわかった。宗教心や道徳心から『不倫をしてはダメですよ』と言っているわけではないのである。かと言って『不倫は社会に認められないからオススメしませんよ』と言っているわけでもない(と思う)。

恋愛とは社会的行為の最小単位と言えると思うが、その中だけでふたりの行動が収まるなら、『幸せ』になれるだろう。そうはいかないことをアンナは理解はしていたが実を求めた。しかしアンリエットはもし実だけを求めれば、お互いの社会的立場(義務というよりも自分がなぜここにいるのかを理解し、それを大切にする気持ち)だけでなく、心も変化していってしまう人間の性質がわかっていた。そして心変わりを怖れた。フェリックスは『砂漠』で『乾いた喉を潤して』しまったが、心は離れていくことはなく、アンリエットは死んでも、フェリックスの心を掴み続けることに成功したのである。

貴女はどちらに共感します?アンナ?それともアンリエット?
次回はダドレー夫人を取り上げます!

関連記事
「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その1
「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その3
「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その4


今日の写真 ~カラフル その7~
日本と同じ人口密度のフェルガナ盆地はコーカンドの電話局。窓口に並ぶ人たちのカラフルな服装!

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2005年9月30日

「そうです、ナタリー」 谷間の百合 -その1-

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4ヶ月ほど前、「谷間の百合」(バルザック著)を読んだ。

読む気になったきっかけは「夜霧の恋人たち」(>>関連記事)である。この映画の冒頭で主人公アントワーヌ(ジャン・ピエール・レオ)が牢屋の壁に寄りかかって、「谷間の百合」を読んでいるシーンがある。映画のストーリーを予感させるカットなのだろうが、知らなかったので非常に残念に思った。そこで「トリュフォーが取り上げているんだからきっと面白いに違いない」と思い読んでみることにした。

この小説は主人公フェリックスが自分の恋の経歴を「聞きたい!聞きたい!」とナタリーという恋人候補がせがむので、しょうがなく打ち明け話をするという設定なのだが、本当はフェリックスがナタリーに聞いてもらいたい、むしろ聞かせたいのである。それでもって普通女性には話してならない内面的なことまでナタリーに聞かせ、ウンザリさせてしまうというお話なのである。ただそれ故に私にとっては青春時代に疑問に思っていたことやぼんやりと感じていた事柄のフォーカスがはっきりとして、非常に(仕事にしても恋愛にしても)ためになりました。スタンダールの「赤と黒」を7年前に読んだとき以来の心に残る小説でした。

さて、この作品は古典文学作品である。古典文学をあまり読まない人も興味を持っていただけるように、非常に偏った見地から考察していきたいと思う。小説前半(あくまでも前半のみ)は病的なまでのプラトニック・ラブで退屈してしまうかもしれない。なぜなら何の描写(ここで「描写」とは極めてプライベートな行為を指すことにする)も無い。小説の前半で唯一直接的な「描写」はフェリックスがモルソフ夫人=アンリエットの背中に接吻するシーンだけで、その後アンリエットはフェリックスを精神的には受け入れながらも、身体的には手を取ることしか許さないという徹底振りで、何の(エロス)期待もできない。しかしトリュフォーが主人公に読ませたほどの小説なのだから理性的な建前だけでない何かがあるはずだと思い、私は何か(エロス)を期待しながら読み進んでいった。そうしたら、そっち方面の名言が溢れていたので、私はうれしくなった。読者の方々もそちらの方面への興味なら少なくないと思われるので、フェリックスの台詞から特にそういった箇所のみを抜き出してみよう。

まず、それを予感させる文

『私たち男に愛されている女性の特権は、何ごとにつけても私たちに、良識の掟を忘れさせてしまうことにあるのです』
(序章第1行目)

恋は、道徳も法律も紳士協定も通じない世界であると、事前に断りを入れておいて、これからの暴露話で自分が非難されないようにしているのですな。

バルザックはモデル体型が好みだったようです。

『私が丸い身体つきより、平たい身体つきに軍配をあげるとしたら、あなたはお気をわるくなさるでしょうか』
(第1章 新潮文庫版 49p)

このあとにかなりの偏見発言があります。

『前者よりも後者のほうがより女であると言えましょう。平たい身体つきは、しなやかで柔軟さに満ち、丸い身体つきは柔軟さに欠け、嫉妬深いのです』

お断りしておきますが、僕が言っているのではありません。バルザックがフェリックスを通して言っているのです。

擦れた男性諸氏は共感度大かも?

『年を経るにしたがって、私たちは、女性のなかの女性だけを愛するようになるのです。ところが初恋の女性の場合には、その女性のありとあらゆるものを愛するのです』
(第2章 新潮文庫版 137p)

まだ擦れる前の純なフェリックス君はこんな感じでした。

『彼女がごくまれにしかその手にゆるさせてくれぬ接吻に、おのれのすべてをあまさずそそぎこむことができるほど若かったのです』

世のすべての男性諸氏が共感度大!

『なぜ肉体はそのつぶやきをやめようとしないのでしょう』
(第2章 新潮文庫版 141p)

とフェリックス君はぶつぶつつぶやきながら「官能の花束」をアンリエットにプレゼントして、彼女を恥ずかしがらせたりします(笑)。花の名前は唱えるだけでエロスを感じさせます。非常に高度な技術ですね。

NHKの「名作平積み大作戦」でも取り上げていた問題発言!

『僕は決して愛したのではありません。ただ砂漠のなかでのどが乾いただけなのです』
(第3章 新潮文庫版 326p)

フェリックスがダドレー夫人と関係を持ってしまったあとで、アンリエットにする言い訳。旨い台詞だとは思いますが、こんなこと言われたら女性は怒りますよねぇ。実際アンリエットも「砂漠でですって」と絶句しています(笑)。ちなみに「砂漠」とはパリの社交界のことなのでした。よくもまあ、こんな比喩を思いついたものです。

次回はもう少しマジメに考察したいと思います。

関連記事
「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その2
「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その3
「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その4

参照記事
虚偽的恋愛生活 >> 愛しのフェリックス


今日の写真 ~カラフル その6~
どうもカラフルな写真は外国が多いようです。今回はモスクワは赤の広場にあるカザン聖母聖堂の内部。他のロシア正教の建物に比べるとパステル・トーンでかわいらしいです。

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