『建築』 の記事

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2009年1月29日

「アーキテクチャと思考の場所」を聴いて

1月28日(水)17:30~20:50、東京工業大学 世界文明センターで開かれた公開シンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」を聴きに行ってきました。司会:東浩紀、登壇者:浅田彰、磯崎新、宇野常寛、濱野智史、宮台真司、というそうそうたる顔ぶれで、どんな議論が交わされるのか非常にたのしみにしておりました。

東工大の最寄駅大岡山のひとつとなりの洗足で降りて、坂本一成の”House F”を(勝手に)見学してから東工大キャンパスに向かいました。開演30分前に到着したのですが、すでに講堂の600席は満席で、ライブ映像が放映される視聴覚教室も立ち見が出るほどの盛況でした。以下備忘録です。非常に早口の方々(磯崎さんは例外でゆっくり話をした)メモを取るのが大変で、かつ、議論のコンテキストを事前に身に付けていないとわからない内容が多かったため、私が誤解している箇所が多々あると思いますが、そのあたりはご指摘いただけましたら幸いです。

東:監視アーキテクチャによる権力の不可視化により、昨今の「派遣問題」にしても誰が悪いのかはっきりしない状況の中、「私たちが住みたい都市」第4章(磯崎と宮台、山本司会の鼎談)での宮台発言『モニュメンタルな(固有名のある)建築はもう必要ない』として建築家は都市に対して無力であることを結論付けられた議論の続きをしてみたい。また10年前の「批評空間~批評の場所はどこにあるのか?」(1999年 東浩紀、鎌田哲哉、福田和也、浅田彰、柄谷行人の五氏が参加)から10年経つが、その間(重要な)批評家の名前に変化がないという無力感をなんとかしたい・・・・といったようなシンポジウム開催の概要と目的の発言。

濱野:(パワーポイントによるプレゼン。ライブ映像では全く見えなかった)情報社会学の立場から(コンピュータ)アーキテクチャの生態系を分析すると、コンピュータネットワークの世界ではTCP/IPなど基底インフラとなるプラットフォームが非常にオープンで自由度が高いために、その上部にある開発ソリューション、OS、アプリケーションといったものが生態系が自然生成して進化してきたように見える。その進化の過程は、ある目標やロードマップ(アレクザンダーの”tree”を対比)が定められていたわけではなく、事後的合理性や意図せざる結果(アレクザンダーの”semilattice”を対比)の連続であったために、かえって進化の度合が早かった。磯崎の論文「プロセス・プランニング論」は大分図書館のコンセプトのプレゼンであるが(後の磯崎の発言により、プレではなく事後的な論文であったことが暴露される)そこには大分図書館が将来増築されることを想定されていることが書かれている。しかし建築は一回性のもので不可逆であるため、増築やリノベーションということが想定され、将来変化があるとしても、そのときそのときに建築は切断されリアルに実在してしまう。その点ニコニコ動画のシステムなどは永遠とベータバージョン更新され、ズルズル(と連続して)としていて自然成長的で、結果として進化が早い。それゆえ問題が見えづらい(その問題も進化したり変化したりするから?)という点もある。

宇野:(パワーポイントによるプレゼン。ライブ映像では全く見えなかった)「批評の場所はどこにあるのか」から10年間の変化として、アカデミズム的(浅田的)批評は衰退し、ジャーナリズム的(福田的)批評の方がまだ優勢で、新たな勢力として宮台・大塚的批評が力を持ってきた。右翼左翼等の言動は勢力の増すための活動ではなく、トライブ(島宇宙)の維持が目的となった。・・・・脱主体化、高流動化、WEBコミュニティを前提としたコミュニケーションの矮小化、ヒロユキ、ISEDなどの話・・・・結論>批評するということは、非モテの肯定であり、自分を癒す言葉である。アーキテクチャに期待してもしょうがない。

浅田:(メインフレームのコンピュータのスケジュールに合わせて解析をしていた学生のころと比べて)確かに自立分散型ネットワークは大きな変化であるが、情報環境のアーキテクチャは70年代も今も変わっていないと思う。・・・・マクルーハン、青木昌彦、鈴村興太郎などの話・・・・ネットの世界はの City ではなく小さな Village が乱立した。・・・・東氏と浅田さんのちょいバトル・・・・結論>昔から批評の場所はなかった。・・・・・

・・・・浅田さんの話が長くなり、東氏がそろそろ磯崎さんに話を振りたくなったころ・・・・突然ライブ映像が落ち、運営委員の学生の様子から、すぐには復旧しそうにないので(日本を代表する工科大学でこのようなお粗末は・・・そもそも映像の質も非常に悪かった)講堂に移動する。しかし非常に混雑していて、中に入り込むのに一苦労で、ようやく話が聴き取れる場所に落ち着くと発言者は磯崎さんに変わっていた。しかし人いきれが酷い。ホールズを舐めてみても気になる程。

磯崎:・・・・・ライブ映像の視聴覚教室から聴衆があふれる講堂へ移動し、一生懸命人を掻き分けていたので、前半の話不明・・・・・続きは明日書きます。(続きは、コチラ

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2008年11月26日

ピラネージ版画展

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11月24日まで、町田市国際版画美術館にて開催。

住宅の展示会の仕事でお会いした建築家の木村さんのブログでピラネージの版画展をやっていることを知り、週末に行ました。ピラネージの作品は、ギリシャ・ローマや新古典主義に関する建築書を読んでいると頻出するので、機会があったら是非観たい!と以前より思っていました。またこの10年でローマには2回行っているので、ピラネージの描くローマの風景には非常に興味がありました。更に今年になって読んだ「磯崎新の建築談義」の中では磯崎さんと五十嵐太郎さんがしょっちゅうピラネージの話をしていますし、塩野七生の「ローマ人の物語」を読んでローマの歴史や文化を少し学べたこともあり、絶対に行かなくては!という久々に熱い思いで美術展に行ってまいりました。

僕は23日(日)という開催最後の週末に行ったのですが、会場は大変すいておりゆっくり観賞できました。こんなにすごい版画家でもこんなことがあるのですね。町田市はもっと宣伝をした方がいいと思います。会場にはエルラッハの「歴史的建築の構想・注解」も置いてあり、こちらも楽しめました。

実際の作品は、最初の作品集「共和制および帝政初期時代のローマの遺跡」は作品はA4の半分くらいの大きさですが、「ローマの景観」ではA2版以上のサイズにもかかわらず大変緻密で微妙なタッチで、パースペクティブによる奥行き感だけでなく、空気の濃淡による遠近まで感じられます。あまりに細かく描かれているので、画面の隅々までついつい見てしまいす。「ローマの古代遺跡」は画面構成が凝っており、ローマ遺跡の外観では点景の人々の様子を見るのも楽しく、遺跡の図解では平面図や断面図、ディテール、さらには施工方法まで記述され、見ていて全く飽きさせません。「古代ローマのカンプス・マルティウスの復元地図」ともなると、これを1枚を見ているだけでしばらく人生過ごせそうな気がしてくるほどでした。

今日の写真
ちょうど展覧会のポスターに使われている「ポポロ広場」と似た写真をローマに行ったときに撮りました。オベリスクが映っていないので、オベリスクを背にして撮ったものと思われまが、このローマの北口から入った人は皆同じような写真を撮るのではないでしょうか?印象深い風景です。

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2008年11月7日

横浜トリエンナーレ2008

先日、横浜トリエンナーレに行って来た。面白かった作品を列記して見る。

平田晃久/イエノイエ
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運河パークに建つコンセプト住宅である。山並のようなグリーンの屋根は、外壁とシームレスにつながり、外壁は基礎も覆っているので、地面の草ともつながっているように見えなくもない。屋根は3つあるらしいのだが、建物はひとつである。建物内部には3つの舞台のような2階があり、それぞれが吹抜に面しているのだが、山並の屋根の谷によって分節され、微妙に視線やプライバシー等がコントロールされた一体空間となっている。2階の窓からはこの家の屋根が見えたりするのも面白い。各室は、若手有名建築家による、新しい住宅の提案が展示されているのだが、リビング、書斎、キッズルームなど名前を付けることによって、展示会場というより家であるという印象を与えている。

西沢立衛/新港ピアの会場構成
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3つあるメイン会場のひとつで、建物は倉庫のような感じである。内部の会場構成を建築家の西沢立衛が担当している。展示室の壁(高さ3~6m程)を展示面のみ白く塗装して仕上げて通路となる裏面は仕上げをせず、スチールの柱と下地、不燃ベニヤを露出させいるだけなのだが、その舞台裏を見せるコンセプトが新しい感覚を観賞者に与える。現代アートの展示は作品を認識することが難しいことがあるが、ここには観賞者が作品に向き合えるような工夫がある。すなわち白い壁–>展示室、舞台裏–>非展示室という単純だが明確なフォームにより、観賞者は舞台裏から舞台に出演していく俳優のような気分になれるからだ。

ウラ・フォン・ブランデンブルグ/作品名不詳
白黒16mmフィルムの作品。古い屋敷の各部屋にストップモーションのように動きを止めた人々がいて、その様子を人が視点を動かすようなシークエンスでカメラがワンカットで捉える。フィルムはループするので、ワンカットのシーンが永遠と続く。出演者の一人に白いリボンをメビウスの輪のように手に絡ませた男がいる。映像作品なのに被写体は静止し、カメラは動き回る。カメラは観賞者の視点なので、観賞者はいつしか映像に入り込んでしまい、奇妙なリアリティーを感じるようになる。

ペドロ・レイエス/Baby Marx
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人形劇のビデオ映像作品。今や忘れ去られた社会主義の歴史的思想家・政治家たちを人形劇のパロディーで紹介する楽しくかわいらしい作品。マルクス、エンゲルス、レーニン、チェ・ゲバラ、毛沢東、スターリン、アダム・スミス、フレデリック・テイラーが登場する。映像は最後に”Baby Marx, Bring on the Revolution!!!”とテロップが流れ”coming soon”で終わる。僕はこの人形劇の本編が今後作られるという意味で”coming soon”を捉えたが、妻は「Baby Marxが現れ革命を起こす日は近い」と解した。なるほどその方が深い。登場人物の是非はともあれ、またパロディーとはいえ、マルクス、エンゲルス、レーニン、チェ・ゲバラ、毛沢東は社会主義思想の歴史的人物として扱われ、スターリンは単に残忍な独裁者、アダム・スミスやフレデリック・テイラーはグローバル化や管理社会を推し進めた人物として捉えられている。そのように解釈すれば最後のメッセージは、「社会主義は終焉したように思われているけれども、今や終焉をを迎えているのは資本主義であって、マルクスの子どもたちが社会に変革を与える日は近いであろう」という作者の希望が見えてくるのである。

Baby Marx(You Tube) はこちら

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2008年6月13日

グレン・マーカット講演会

菅浦
昨日12日(木)、オーストラリアを代表する建築家グレン・マーカットの講演会に行って来た。場所は有楽町のよみうりホール。大変密度の高い講演内容で、マーカット氏は2時間休むことなく、ミネラルウォーターも蓋を開けただけで、飲まずに話し続けた。

オーストラリアの現代建築に興味を持ったのはTOTO通信の1998年1号の特集「風土の中のオーストラリア住宅」を読んでからである。昨年は、a+u誌2007年8月号でも「オーストラリア--大地に暮らす」という特集も組まれ、オーストラリア建築が日本に紹介される機会が増えてきている。オーストラリアの建築といえば、世界遺産でもあるシドニーのオペラハウスが大変有名だが、これはデンマーク人のウッツォンがコンペで勝ち抜き、設計した建物であることもあり、ここで言うオーストラリア現代建築とは少々異なると思う(もちろん影響はあると思う)。

マーカットの作品は、モダンで一見ケース・スダディ・ハウスに似ているが、デザイン様式としてモダンやミニマルが趣味的に選択されていることは断じて無く、CSHのようにハイソ感があるわけではなく、今後の新しい生活(CSHはほとんど初めて核家族のために建てられた住宅であり、ここでいう新しい生活とは、個人的な印象ではなく、社会全体が(良い方向に)変革していくだろうという期待感みたいなものだと思う)を予感させるものとも違う。

一般的には、建築物は一度建つと、長い間そこに存在すると思われているが、オーストラリアにおいては、その広大なランドスケープによって、建築は飲み込まれてしまい、建築的な時間のスケールなどウルルと比較したら認識できるかどうかさえ危ぶまれる。だから彼の地の建築家たちは、自然をコントロールしたり、永遠と定着することを信じているように建築を表現するよりも、自然と対峙しながらも逆らわず、性能を十分生かせる場所にそっと置かれた繊細な機械のような建築を創るのかもしれない。

さて講演の内容に移る。

オーストラリア大陸の大きさ、気候(6つの季節)、植生、ランドスケープに関すること、そして環境とサスティナビリティを考慮し、材料や工法を選んで設計することの重要性について、かなりの時間を割いていた。また子どもの頃に自然と接することはとても重要なことで、そこで得られた体験と知識は、将来遭遇するさまざまな問題を解決することに役に立つと言っていた。

サスティナブルな都市や建築の例として、アボリジニの砂漠と熱帯地域の住宅、ベドウィンのテント、ドブロブニク、モロッコの日干し煉瓦の街、アメリカ先住民の家、ミコノス島の石灰塗りの住居が取り上げられた。他の例として、1930年代オーストラリアでは、辺境に家を建てるために、ユンカーという飛行機で建材を運んだのだが、その頃ユンカーのペイロードに合わせて、軽量な材料で効率よく建設する技術があったことが述べられた。

マーカットの作品解説のスライドも大変面白かった。

マリー・ショート邸の棟がカーブは、バナキュラーな建物へのオマージュだけではなく、妻面からみると翼形になるので、流体力学的に風が剥離を起こしにくく、棟の気圧が下がることにより、効率よく自然換気が行われるそうだ。デザイン的にちょっと(かなり)惹かれるだけでなく、この理論は流体力学を学習した者でないと気がつかないし、話を聞いてもわからないと思う。(屋根が飛ばされないか逆に心配でもあった)

シドニーのマーカット=ルーウィン邸では、DPGを使用したミニマルなオフセット縦軸回転窓を建設業者に反対されたこと、11月にジャガランタが満開になること、93年にエミリー・ウングワレーの絵を運よく手に入れたこと、ルーウィンとは別室のスタジオにいることなど、自邸であることもあり作品のことより氏のプライベートを語っていたことが印象に残った。

一度見ると忘れられない、あの有名なシンプソン・リー邸には、ドレンチャーが備えられていて、雨水を溜めた池の水を循環させるようになっていることはこの講演で初めて知った。オーストラリアは山火事が多く、実際、溜め池のおかげで、リー邸だけでなく、近隣の2件も火災を免れたとのこと。

マーカットの作品には、軒の深さと、格子によって、日射を調整したり、プライバシーを調整する機構が取り入れられているものが多いのだが、日本の格子文化に言及して「30年前に日本に来ていたなら、こんなに努力して格子を研究しなくても良かったかもしれないが、ここまで極められなかったかもしれない」というようなことを言っていた。

あと印象に残った言葉は、マグニー邸のスライドの時だったと思うが、「オーストラリアのランドスケープに合ったスケールに計画することが難しい。合っていないと間抜けに見える」と言っていたことだ。

赤坂のギャラリー・間で開かれる展覧会にも是非足を運びたい。

グレン・マーカット展>>ギャラリー・間

今日の写真
日本のバナキュラーな建築のひとつで集落の入口(出口)にあったもの。滋賀県菅浦。

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2005年1月21日

「新しい住まいの設計 3月号」に掲載されています

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本日1月21日発売の住宅雑誌「新しい住まいの設計 3月号」(扶桑社)に、私が設計しました池田邸(アトリエ併用住宅)が30~35Pに掲載されています。

私の初作品であり、初のメディア登場作品です。
247ページには私のプロフィールが載っております。

書店にお立ち寄りの際には是非ご覧くださいませ。

また事務所のHPには「坂戸のアトリエ」という作品名でご紹介しておりますので、こちらもご覧ください。よろしくお願いいたします。

» 兵藤善紀建築設計事務所HP

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2004年11月26日

兵藤善紀建築設計事務所HP開設!

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本日、ようやくホームページを開設致しました。まだまだ、手直し、追加が必要ですが、事務所紹介程度の機能はあると思っています。HPのご意見をお寄せいただければ幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。

兵藤善紀建築設計事務所

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