2004年12月4日

牛腸茂雄 “SELF AND OTHERS”

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今年一番の写真(上の写真のことではないですよ)。10月に三鷹市美術ギャラリーで見た。

“SELF AND OTHERS” は全部で60枚からなる連作である。それら全てがポートレイトである。写っている人物はどれもはかなげで、弱々しい。日常の中で撮影された単なる記念スナップのようでポーズもとっていない。しかしここまで作為が感じさせずに、人と向き合い目を合わせることが出来るのだろうか?しかもどれもが真実を感じさせる。何が真実か?それは牛腸と被写体との関係が真実なのである。両者の間には見せかけや作為が感じられない。写真が作品として、特にアートとして捕らえられるとき、何がそうさせるのかと常々考えてきたが、真実性は重要な要素であることは間違いないだろう。

世の中のポートレイト写真のほとんどは真実を写していない。たとえば、広告写真のたぐいなどである。楽しげな笑いやポーズ、もの悲しい横顔などなど、演技であることがわかってしまう。

私も被写体と向き合いながら真実を捉えたことがあるように思う。しかしそれは15年間で2,3枚しかない。牛腸が短い生涯の中でこのような写真が60枚も撮れたことは奇跡としかいいようがない。

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カテゴリー:アート |  コメント (5) |  投稿者:hyodo

コメント


onuma

i-Pod に入ってるのは
「Gainsbourg Versions Femmes」
の「Pull marine」かな。
Gainsbourg は Gall から入ったのだけどね。
このアルバムはいろんな女性の声で
Gainsbourgを聴けるコンセプトアルバムだね。
一人の人のアルバムをじっくり聴く方があってるので
あまり聴いてはないのだけどこれを機に
またちゃんと聴いてみよっと(笑)
最近のアジャーニは見てなくてわからないのですが
どんなか知ってますか??
午腸茂雄という人は最近何かで見かけて(雑誌か新聞かHPか
忘れたのですが)その時に随分飾らない写真家だなぁという
印象でした。ちょっと寂しい感じの絵だね。自分が寂しい
ときに見るともっと落ちていきそうな危険なやさしさが
あるような。。。
夭折した写真家は生前から魂が透けて見えていたのかな。
そんなオカルティックな気分を起こさせる写真家です。

2004年12月5日 @ 12:36 AM


onuma

今回の写真についてのコメント(笑)
左右違う入居者同士のプライバシー保護のため
なるだけ出入り口は離そうとドアの開閉を逆にする
というささやかな気使い?を感じるドアですね。
どちらかの部屋に入居しないといけないとしたら
私は向かって右側の部屋(ドアは自体は剥がした跡
があって汚いけど)を迷わず選ぶでしょうね。
左利きなので。。。
ということで今回の写真にも勝手にタイトルを
つけてみました。
「右利きと左利きのための部屋」

2004年12月5日 @ 1:21 AM

Mac os no AUX1320desu!
yahari nihonngo niha
narimasenn…
watashi ha syashinn wo
torutoki fainnda- wo
nozokimasenn.
konohouga sutekina syashinn ga toremasuyo.
minaidori to iimasu .
link harimashita.

2004年12月5日 @ 10:03 AM


taquji

Mac OS Xのtaqujiです。
うちではとくに問題ないですよ、日本語。

2004年12月5日 @ 3:56 PM

onumaさん、アジャーニは “Pull Marine” “Ohio” という曲がiPodに入ってます。ゲンズブールではないかも。
牛腸さんの表現は、確かに寂しげでオカルト入ってるかも。普通過ぎて、何か意味を見つけ出そうとするときに、霊力を感じてしまうのかな?
ドア写真はおっしゃるように、出来るだけ距離を取りたかったんだろうね。ドアの外はすぐ階段だし、なんだか大変な人たちって感じ。
AUX1320さん、OS-9ですよね。ウチにiBookがあるのですが、OS-9です。日本語書き込みできません。
taqujiさんのようにOS-ⅩならOKみたいですね。
niftyさん何とかしてください!!!!!

2004年12月6日 @ 2:30 AM

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