2009年6月28日

ロシア統計委員会(ツェントロソユーズ)

ロシア統計委員会(ツェントロソユーズ)
上野の国立西洋美術館がユネスコ世界遺産の選考に落選したので、今回はコルビュジエでいきます。ル・コルビュジエがソ連邦に計画、唯一実現した建築がモスクワにあります。写真はミャスニーツカヤ通りのファサードで、厳密に対称形になっています。そういった意味ではクラシカルな建築ということもできます。コルビジュエはこの計画の後、ソヴィエト宮(実現せず)の計画にグロピウス、メンテルゾーンとともに参加を要請されています。この計画は対称軸にしたがって配された建築群の形態が有機的なものに変化しています。『ル・コルビュジエの生涯』によると、「セントロソユースの計画の説明のために何度もモスクワに言ったが、構成主義建築の発展が明らかに彼に影響を与えている。そのほかに、それより少し前、マルクス主義の進歩主義的批評家たちが彼のことを形式的伝統主義者だと非難していた。」とあり、更に「多分彼は、当時のロシアのすぐれた計画を念入りに研究したのである」とあります。なかなか興味深い文章です。ソヴィエト宮の模型がニューヨーク近代美術館あるようなので、ちょっと見てみたくなりました。

ロシア統計委員会(ツェントロソユーズ)
上の写真はカーテンウォールをもう少しアップで写したものです。どうやらカーテンウォールはダブルスキンになっているようです。空調計画はどうなっているのでしょうか?

『ロシア建築案内』によると、「壁面はガラスのカーテンウォールとなっていたが、その案にはロシアの厳しい冬は考慮されていなかったため、ガラスの大部分がフレーム部分のみに使われる予定だったバイオレット・ピンクの凝灰岩に変更されている」、とありますが、ずいぶん大きなガラス面に感じられます。

『ル・コルビュジエの生涯』によると、「このような大きなガラス面は、ル・コルビュジエにとって初めてであった。」と書かれています。

この建築は見学当時ちょっと勉強不足で、メインのファサードはサハロフ博士大通り側であり、ミャスニーツカヤ通り側ではないことは後で知り、そちらの面は見ていないので本当に残念です。この建築の当初の計画では、コルビュジエの近代建築の五原則のひとつピロティで建物全体が持ち上がっていて、向こうの通りに抜けられるはずだったそうです。計画された1928年当時はロシア・アヴァンギャルド黄金期でしたが、既にレーニンは24年死去していて、竣工時期はスターリンの「スタイルと趣向の圧政」によってネオ・クラシック様式に移行し始めていました。

カテゴリー:ロシア建築 |  コメント (0) |  投稿者:hyodo

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