2008年10月15日

ダニ・カラヴァン展を観て

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先週、ダニ・カラヴァン展を観に世田谷美術館へ行った。僕にとってかなり思い入れがある芸術家だ。95年に日本で巡回展があり、神奈川県立近代美術館へ観に行ったのだが、作品規模の大きさとそのダイナミズムに魅せられてしまい、実物を見たくなってしまった。実際96年にドイツのニュルンベルク、ケルン、デュッセルドルフ、97年には、イスラエルのエルサレム、ベエル・シェバ、テルアビブ、スペインのポルト・ボウを巡った。今では海外まで行かなくても札幌や奈良や鹿児島などにカラヴァンの作品がある。これらの作品が95年以降に日本で製作されたということは、この巡回展に感銘を受けた人が少なくなく、作品制作を依頼したのだと思う。

さて、今回の展覧会だが、見どころは舞台美術作品である。彼の舞台美術作品には書割が無い。複数のオブジェクトが配置されている様子は、環境彫刻といわれる現在の彼の作品の萌芽をみるようである。それらのスケッチ、模型、舞台写真または映像によって製作プロセスを見ることができたことは、近作も含めカラヴァンを理解する上で二重に役に立った。

しかし、会場内のインスタレーションと世界各地の作品ビデオ映像はあまり良いとは思わなかった。まず会場入り口にあった階段と旧約聖書の一節のインスタレーションだが、そのヤコブが夢の中で神の祝福を受ける一節が、あまりに楽観的で現代の状況にそぐわないような気がするし、天上(天井)をミラーフィルムで表現したり、米の袋が天井にぶら下がっていたりするところは何か前時代的な現代美術のように感じてしまった。また水琴窟を模したような砂と石炭の作品は、水滴を音響装置によって増幅して聴かせるところが、なぜか僕には引っかかった。水滴とシンクロする音響装置がテクニカルな解決だけを何だか感じさせてしまうのだ。作品のビデオ映像は、スクリーンの前に模型があることは大変良いが、カラヴァンの作品を理解する上では、逆に作品のダイナミズムを弱めるだけでなく、展示場所に散在するオブジェクトの関係性の意外性の発見を実際の作品を見た時につまらなくしてしまうような気がした(本物とは何か?ということを最近よく考えるのだけど、美術作品だけでなく様々な事象に関して同じ思いにとらわれている)。プロジェクターで紹介される作品は、テレビ画面よりも大きく感じられるところが良いのだが、会場が明るすぎ大変見辛かった。

ちょっと厳しい批評になってしまったかもしれないけど、逆にそれだけカラヴァンの作品が好きだし(このブログの管理者プロフィールの「存命する好きな芸術家」項目にダニ・カラヴァンを挙げている)、多くの人に知ってもらいたいと思う芸術家である。

最後に、カラヴァンのいくつかの作品のスケッチ、実測メモは下記リンクを参照していただきたい。

“Joint” エルサレム、イスラエル博物館近く 訪問日:1997年11月19日
資料1

“Kikar Levana” テルアビブ、エディト・ウォルフソン公園 訪問日:1997年11月24日
資料1
資料2
資料3
資料4

“Ohel” テルアビブ、シバ病院 訪問日:1997年11月24日
資料1
資料2

“Passage” ポルト・ボウの町はずれの海岸 訪問日:1997年12月8日
資料1
資料2
資料3
資料4

今日の写真
世田谷美術館に行く途中の用賀プロムナード。うらやましいような環境です。完成してからもう20年も経っているのにメンテナンスが行き届いていました。

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カテゴリー:アート |  コメント (0) |  投稿者:hyodo

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