2005年10月12日

「そうです、ナタリー」 谷間の百合 -その2-

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谷間の百合」・・・・・なんとなく田舎臭い、牧歌的な印象すら与えるこの小説の題名には、洗練の極みを身につけた著者バルザックがフッと半生を顧みているような、郷愁を感じさせる。意図的にシャープさを欠いた謙譲表現かもしれない。邦題がそのように思わせるのだろうか・・・・・・

さて、前回の記事では、主人公フェリックスが私達(男性)の気持ちを代弁してくれている箇所を抜き出してみた。今回は彼が愛した「谷間の百合」アンリエット(モルソフ夫人)とはどんな女性なのかを考察してみたい。まず私がこの小説を読み始めたときのアンリエットに対する率直な(子どもモードの)感想。

『身体どころかキスさえ許さずに男を留めるとは、冷淡な女だ』

ところが読み進めるうちにアンリエットはフェリックスの求愛を拒んでいるのではなく、むしろ受け入れ、自分の気持ちを押しとどめていることがわかってくる。なぜ押しとどめているのか?トルストイの「アンナ・カレーニナ」の主人公アンナを取り上げながら比較・考察を試みよう。アンリエットもアンナも美しい人妻で、夫を愛しておらず、若い男に求愛されるという3点が共通項である。

アンナは非公式に夫と別れ、ウローンスキイと一緒に夫婦のように生活した。
結果>>ふたりとも世間からはじき出されてしまう。ウローンスキイは出世の道をたたれる。ふたりの間に生まれた子供も夫に取られてしまう。将来に希望を持てなくなったアンナは自殺する。

アンリエットはフェリックスと彼女の夫も認める公式な友人関係にあった。
結果>>いつでも会(逢)える関係。そしてアンリエットの口添えで、フェリックスは社交界で出世の糸口を掴んでいく。しかしフェリックスはアンリエットを裏切り、彼女とは正反対の性格のダドレー夫人と関係を結ぶ。アンリエットはショックで病気になり死ぬ。

公式非公式。たとえ同じ行動をとったとしても両者は大きく異なる。この社会的意味と差異をようやく私が認識したのは数年前だ。それに気が付いてやっと、トルストイがなぜ美人で性格も頭も良いアンナを自殺に追いつめて描いたのかがわかった。宗教心や道徳心から『不倫をしてはダメですよ』と言っているわけではないのである。かと言って『不倫は社会に認められないからオススメしませんよ』と言っているわけでもない(と思う)。

恋愛とは社会的行為の最小単位と言えると思うが、その中だけでふたりの行動が収まるなら、『幸せ』になれるだろう。そうはいかないことをアンナは理解はしていたが実を求めた。しかしアンリエットはもし実だけを求めれば、お互いの社会的立場(義務というよりも自分がなぜここにいるのかを理解し、それを大切にする気持ち)だけでなく、心も変化していってしまう人間の性質がわかっていた。そして心変わりを怖れた。フェリックスは『砂漠』で『乾いた喉を潤して』しまったが、心は離れていくことはなく、アンリエットは死んでも、フェリックスの心を掴み続けることに成功したのである。

貴女はどちらに共感します?アンナ?それともアンリエット?
次回はダドレー夫人を取り上げます!

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「そうです、ナタリー」 谷間の百合 その4

今日の写真 ~カラフル その7~
日本と同じ人口密度のフェルガナ盆地はコーカンドの電話局。窓口に並ぶ人たちのカラフルな服装!

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カテゴリー: |  コメント (4) |  投稿者:hyodo

コメント


tapioka

良くも悪くも、恋愛とは無縁の生活してますねぇ。
小説のような恋愛憧れますが、やっぱり平凡を選択してしまうんでしょうね、私は。この先にあるのは、なんだろうなぁ?

2005年10月12日 @ 7:31 PM

tapiokaさん、おはようございます。
僕も同感。やっぱり「普通」がいいものですよ。
まあ、人によっては「毎日が修羅場」が普通の場合もあるかもしれませんが(笑)
「谷間の百合」にしても、「アンナ・カレーニナ」にしても
恋愛小説とはちょっと異なる性質のものですので、
もしお読みになる場合は、その辺を期待しすぎないようにしてください。

2005年10月15日 @ 9:31 AM

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